見出し画像

社会の歯車であること


いくつかの前の投稿で「無言実行」と書いた。正しくは「不言実行」。どおりで変換が正しくできなかった。つまるところ、わたしはやっぱり不言実行派ではないのかもしれない。憧れる。そして、間違った言葉遣いの投稿、読んでくれたひとたちへ、ごめんなさい。


近頃、仕事って、面白いなあ、と思う。
仕事でのひととの関係性。友達ではない。でも信頼関係にある。プライベートのことを知らない人も多い。多いのに、なんとなく信頼できる。

仕事ができるひと、できないひと。できるひとが素晴らしいわけではないと思うけれど、それはつまり「このひとと仕事がしたい。」と思えること。少しくらい大変な仕事だって、このひとと同じチームなら、頑張ろうかな、と思える。そういうひとになりたいな、とつくづく思う。

おとといはただの1日のなかで、嬉しくて涙が出そうになるようなことと、悔しくて涙が出そうになることが起きた。
仕事が、ということより(もちろん仕事内容も面白いのだけれど。)仕事をする、ということが面白い。みんなそれぞれ違う仕事をして、そうやってみんなで世界をまわしているのだなあ、と思う。そんなことがようやく、ようやく分かってきた25歳の春。

新入社員一年目、たぶん3か月くらいしか経っていないようなとき。仕事を辞めたいと強く思ったことがあった。というか常々思っていた。つまらなかった。疲れる。お金なんていらないから、自由になりたい、そんな風な生意気なことを思っていた。

そのころ住んでいた南の島の近所のカフェで愚痴をこぼした。店主のタロウさんが「3年はやってみたほうがいいよ。」と言った。ご夫婦でカフェを開き、好きなことを仕事にしているように見えるタロウさんからは「好きなことやりなよ。」的なことを言われると思っていた。以外にも「いい経験になるから、3年はやってみなよ。」と言ってくれたのであった。そのご夫婦もカフェを開く前、会社員を10年ほど、やっていた。大変だったと笑いながら言っていた。でもそのときのつながりに今、生かされていることを教えてくれた。
「3年やってみなよ。3カ月続けてみると良い。」そういうアドバイスってよくあると思う。
あまり好きではなかったけれど、今の会社に勤めてまるっと3年が経つ今、なるほどな、と思っている。大学生時代にやめたラクロス部の同期(わたしはマネージャー、彼はプレイヤー)「続けることも才能だよ。」と言っていた。確かにな、と今なら思う。

思い切って動くこともとても大切だけれど、ときにはぐっと耐えてみて、乗り切ってみる。その先を信じて、淡々とこなしてみる。そういうことも大切だと分かってきたのは、わたしも少しは大人になっているからなのだろうか。そうだといいなあ、と思っている。


できることをできるひとがやる。
社会のそれって素晴らしい仕組みじゃないか、と心から思う。よく、「社会の歯車にはなりたくない。」ということを言うひとがいる。わたしも思ったことがある。でも、こうして自分の役割を全うすることが、社会の一員なのだとしたら、わたしは社会の歯車でもいいと思った。というか、誰だって社会の一員なのだから、社会の歯車なのだ。そういうものだ。

社会の歯車だからって、好きにできないわけではないし、楽しめないわけではない。歯車が動くことで、もっと大きな部品が動く。だったら、自分の力で動く歯車であれば、自分の力で大きな社会を動かせる、そういう可能性だってあるのだとわたしは思っている。いつかわたしが今の会社を辞めて、自分で事業を立ち上げたとて、フリーランスになったとて、社会の歯車なのだ。歯車だとしても、そうあれたら、最高にハッピーだ。

どんなことでも視点を変えれば、幸せなことに転換できる。
わたしはそういう力を兼ね備えて生きていたい、と改めて思っている。

いいなと思ったら応援しよう!

Yuuri
読んでいただいてありがとうございます。もしも、共感してくださったり、興味を持ってくださったりして、サポートしたいと思ってくださったらとっても嬉しいです!