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【58歳女子 サンフランシスコ茶道の旅】~ただいまロンバケ中~

ロングバケーション中の58歳女子。
人生はご縁とタイミングでできている!ちょっと寄り道してもいいんじゃない?
働いていたら絶対できなかったことをやってみるシリーズの第二弾。

ロンドン留学から帰国して10日。
茶道の行事に参加するため、今度はサンフランシスコへ出発しました。


お茶の行事 in サンフランシスコ

茶道のためにサンフランシスコって、よほどのことかと思われがちですが、さにあらず。細々と茶道を嗜んできたのは事実ですが、正直、いつだって熱心ではありませんでした。
働いていたら絶対に行けなかったはず!そんな貧乏根性に突き動かされて参加を決めたのが昨年12月。
表千家茶道の北カルフォルニア支部設立50周年記念行事。
思えばこの行事をきっかけに、せっかくならと留学を思いつき、やがてロンドン留学への道を歩むのでした。

茶道とわたし

茶道との出会いは、短大の茶道部でした。友達の見学に付き添ったつもりが、自分も入部していました。
時はバブルの絶頂期。茶道部の女子たちのほとんどが、他大学のスキーやテニスのサークルと兼部していました。夏には浴衣で合宿、秋には文化祭のお茶会で点前を披露したりと、今思えば青春まっただ中、それなりに一生懸命な日々だったかも(40年前)。

卒業後も、お茶の先生の自宅へ稽古に通っていましたが、やがて、スキーやらドライブやらデートやら?お茶よりも優先したいことがたくさんあり過ぎて、お稽古をやめてしまいました。

それが、10年後のある時、復活しました。「ひたすら型を真似る」ということをしてみたくなったのです。自分で考える必要はなく、言われたとおりにやるだけ。
後に、これは正しくもあり大間違いでもあったことを知ります。考えなくてもよいとは、体に叩き込むということでした。

サンフランシスコへ向かう飛行機の中で、森下典子さんの茶道を綴る著『日日是好日』を読み返してみました。まさに共感…!言い得て妙。
長い時間をかけて身に付けることで、わかることがある。新たな楽しみを知ることがある・・・

私にとっての茶道の魅力とは、人とのご縁と季節の移ろいを大切にするところにありますが、茶道は趣味というほどには楽しくありません。ずっと修行です。楽しいと感じるようになったのは、せいぜいここ数年でしょうか。

先生はすでに他界され、今はお稽古もしていませんが、それでも何か機会があれば、参加してみたいと思うのでした。

続けること

仕事も、「こんな仕事、いつかやめてやる!」と思いながら続けてきました。今すぐってわけにはいかないけれど、そのうち絶対やめるんだから!とつぶやきながら、長いこと働いてしまいました。おそらく、そこに自分の居場所ができていたからだと思います。

茶道も、時々はやめようかと迷いつつ、決め手がないままに休み休み細々と続けてきました。今や全員が50代となった茶道部の仲間と共に、目には見えない居場所があるからです。

意図しなかったけれど続けてしまった、とは案外すごいことなのかもしれません。

記念行事

正しくは、表千家同門会米国北加支部五十周年記念式典および茶会。

土日の2日間にわたって開催され、式典のほか両日ともにサンフランシスコの各名所でお茶席の用意がありました。
サンフランシスコのみならず、ハワイ、ニューヨーク、ロサンゼルスなど全米から会員が集合。一丸となって、表千家茶道の家元はじめ日本からの一行を迎えるために、大変にご準備くださっていました。

バスで各会場を移動
記念式典はハーブストシアターで

式典はサンフランシスコ総領事も出席され、地元のニュースでも取り上げられました。抹茶を出してくれるのは日本人ばかりではありません。茶道の普及啓発に励んでこられた先人の皆様には頭が下がるばかりです。

日米会のお茶室

どんな人が参加しているのか

人物ウォッチング好きの私としては、どんな人が参加しているのかも興味津々でした。
日本から来ているのは、大体は2人~4人くらいのおばさまグループで、たまに見かける若者は、母と一緒か先生と一緒。ひとりで参加しているのは、私も含め好奇心旺盛な人(たぶん)。

初日、やはり一人で参加している若者のクミさんと仲よくなりました。お茶が大好き!という眩しいばかりのクミさんは世界中にお友達がいて、日本語でも英語でも誰とでも話すことができます。
行事が終わりに近づく頃、「帰りの荷物のパッキングが面倒だよねー」と私が言うと、彼女は「でも、お土産詰めてる時は楽しいですよね!」と明るく言い放つのでした。感動・・・
誰かが喜ぶ顔を想像するから楽しいのです。私もお土産をもらうのも渡すのも大好き!

これまで、ほぼ社中(先生の一門)の中だけで完結していた茶道が、はるばる日本からやってきたという仲間意識から、多くの知らない人々と出会い話すことができました。何を見ても聞いても新鮮。隣にいる誰かとワクワクを共有したくなります。海外マジック?

サンフランシスコの街

当初、私はサンフランシスコ留学を検討していたので、予定していた学生寮、学校を見に行ってみることにしました。
地図をたどっては想像と妄想を繰り返していたあの頃。本当はどんなところだったんだろう?

現在のサンフランシスコは、パンデミックの影響で格差が広がり、治安があまりよくないと聞いてはいました。
私が行くはずだった学校は街中にありますが、行ってみると学校到着の手前で、人間が倒れたまま放置されていました。なんとなく異臭も漂っています。

絶対に足を踏み入れてはいけないとされる地域でなくとも、通りによって雰囲気がガラリと変わります。
私のホテルは人通りの多い繁華街にありましたが、一つブロックが変わると、寝転んでいる人、うずくまっている人、何か叫んでいる人など様々な人々がいました。
ゴールデンゲートブリッジ等の風光明媚な景色は変わりませんが、街には何とも言いようのない現実があるのでした。

ゴールデンゲートブリッジ

そして英語はどうなった?

帰国の前日、ミュアウッズ国定公園とナパバレーなどのワイナリーを巡るバスツアーに参加しました。サンフランシスコから北上する遠足です。
20人くらいのツアーで、日本人は私だけ。ほとんどがニューヨークにコロラド、カナダやコロンビアなどアメリカ大陸の人々でした。

サンフランシスコの1週間は、日本人の群衆の中で過ごした1週間。自分で申し込んだとはいえ、このツアーは放り込まれた感ハンパなく。
一応、日本語の音声ガイドを事前にスマホにダウンロードして、それを聴きながら臨むことになっていたのですが(準備はした)、例によっておばさんは使い方がよくわからず宝の持ち腐れに。ロンドン留学で培った、なんとなくみんなに合わせる術がここでも役立ってしまいました。みんなが笑っていれば笑う・・・。
楽しいのか楽しくないのかわからないけれど、楽しいような気も。

ミュアウッズ国定公園のレッドウッド

ランチの時に、ルイジアナから来たご夫妻が「一緒に食べよう」と誘ってくれました。
サンフランシスコが寒くてびっくりしたこと、茶道の行事のために来たこと、少し前にロンドンに短期留学していたことなどを(たどたどしく)話しました。
ロンドンとサンフランシスコでは、英語もずいぶん違って大変でしょう?とご主人。私の慣れない英語に気遣ってくれていることが痛いほど伝わってきます。
「エレベーターは、イギリスではリフトって言うんですよねー、エヘヘ」とか悲しくなるくらいのレベルでコミュニケーションを図ろうとする私。本当にごめんなさい。

レストランは一応、泡、白、赤のワインとペアリングのセットでした。そのほか3件のワイナリーで各種を試飲。後半はベロンベロンになりつつも調子が出てきて英語、というよりボディランゲージが絶好調に。
十分楽しい一日でしたが、英語がもっと話せたら・・・もっと楽しいんだろうなぁ。

ワイナリーで試飲
もとは教会だった貯蔵庫
広大なぶどう畑

旅の終わりに

いま、日本に帰る飛行機の中です。ホテルから空港へはバートという鉄道を利用するのですが、今日に限って駅の下りエスカレーターが止まっていました。あんなに下見したのに!

意を決して、大きなスーツケースを持って長い階段を降り始めました。すると、黒人の男性が後ろから「持つよ、持つよ!大変だね!」と私のスーツケースに手を伸ばしてきました。サンキューと言いつつも、とっさに男性を品定めする私。持っていかれては大変と、手伝ってくれるも私は絶対に手を放しませんでした。

チップとかお金を要求されるのかも!?階段は二段階あって、男性は一番下まで持って行くと言います。
最後の段を降り切った時、彼は、「じゃあね!気を付けてね!」と笑顔でさっさと去っていきました。必死にスーツケースにしがみつく私に、疑われていることを感じていたと思います。

こんなにも申し訳なくて恥ずかしいことがあるでしょうか。自分をものすごく小さく感じたと同時に、この地球で一緒に生きているすべての人が、とにかく幸せでありますように、と願わずにはいられませんでした。
やっぱり世界中の人は、いい人です。

またひとつ人生経験を積んだことにして、サンフランシスコを後にしました。

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