"笑う"を点検したい
あるサービス担当者会議の光景が忘れられない。
介護保険では、多職種のチームで介護サービスを利用者に提供する。ケアマネを中心に、様々なチームがある。ほとんどは利用者中心のチームとなるが、そこは利用者よりもケアマネ中心のチームで最初から特殊と言えば特殊ではあった。サービス担当者会議でのこと。
利用者が他の利用者に気を使ってデイサービスでのベッドの使用を控えているという話をした時に、家族が「他の人のことはいいんだよ」とおっしゃった。家族は近しい存在だから、まあいろいろなことをおっしゃる。それはよくあること。しかし、その言葉につられるようにケアマネジャーをはじめ、その場にいたサービス提供事業者から笑いが漏れたことには驚いた。本人たちにしてみたら親しみを込めたつもりだったのかもしれない。ただ、子供が大人びたことを言ったときにありがちな、そんな笑いに私は感じていた。
笑われた利用者と、すぐ隣にいた私の2人だけが、凍り付いていた。私が車椅子に座る利用者の手を握ると、その方はぎゅうっと強く握り返してきた。担当者会議はそのまま、何事もないかのように話が進んでいった。利用者は涙を流されていた。私はそれをハンカチで拭った。
辛かったのだろう。手を握る私に、その方は涙を流しながら何度も何度も頷いていた。その方の想いに、私の目も熱くなる。しかし、何も言葉が見つからず、ただ頷き返すしかなかった。
しばらくして、家族が異変に気付いた。担当者会議が止まり、サービス提供事業者たちは驚いていた。
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あの担当者会議に限らず介護の現場で、利用者の言動に対して支援者から笑いが漏れるのを私は何度か目撃している。不覚ながら、私の言動が勘違いさせてしまったこともある。逆に、家族の立場から苛立つこともある。
特に介護職の方は接している時間が長いことから、利用者に親しみを感じやすい。しかし、時にそれは子ども扱いしている、あるいは馬鹿にしていると取られることもある。特に笑いは要注意だ。
それでも問題にならないのは利用者や家族が大人で、支援者たちの失礼を許してくれているからなのだ。私たちは利用者や家族の忍耐力に依存し過ぎてはいけない。
今回は、自戒も込めての記事を書かせていただいた。書いている私の気持ちは、手を握って頷くしかなかったあの時に戻っている。
あの方は、今どうされているだろうか。近くに味方がいてくださるといいのだが。
今日は、あの方の顔が頭から離れない。