1997年のお台場と、あの頃の車文化、そしてフジテレビ
「踊る大捜査線」を久しぶりに見た。
関東で夕方再放送していたのだが、その際Tverでも見れたので
そちらで夜な夜な、連続ドラマ11話全て見た。
懐かしい時代のお台場が舞台だ。
この連続ドラマが放送されたのは1997年。
私が大学1年生の頃だ。
福岡から東京に出てきて間もなかったのだが、
当時大学の部活で「自動車部」というものに入っていた。
1年生の私は車を持っていなかったのだが
先輩の車や部の車で、色々連れて行ってもらった思い出がある。
そんな時、お台場はとても行きやすい場所であった。
それは、「空き地」が多かったからだ。
当時のお台場は、移転間もないフジテレビ周辺は建物があったものの、
他はほとんど空き地だった。
それなのに道路は広く、整備されていたので
複数台で行動する、車の集団にはうってつけだった。
路上駐車も、今より全然寛容な時代だ。
私たちだけでなく、多くの車が深夜お台場に集まっていた記憶がある。
近郊の若い車乗りにとって、ドライブにちょうど良い目的地だったのだろう。
その2年前の1995年、東京都知事に当選した青島幸男氏が、
お台場で開催予定だった「世界都市博覧会」の中止を、公約通り実行した。
この決断にはまさに賛否両論あり、九州に住んでいた私でさえ覚えている。
世はバブル崩壊から3、4年といったところか。
都市博開催予定だったお台場は、「臨海副都心」として
多くの企業を誘致していたとのことだが、バブルの煽りを受けて
撤退したところが多かったと聞く。
なので、たとえ都市博が開催されたとしても、
早期な発展はなかったかもしれない。
しかし、開催前提で開業したであろう、ゆりかもめやホテル日航東京、そしてフジテレビにとっては、都市博中止はまさに青天の霹靂だったのではないか。
1997年、新宿、河田町から移転してきたフジテレビは、
空き地だらけのお台場をなんとか盛り上げようとする気概を感じた。
その際たるものが、踊る大捜査線だと思う。
ドラマに出てくる「湾岸署」を「空き地署」と揶揄した描写があったり、
何より主人公の名前が「青島」だ。
「青島です。都知事と同じ、青島です」という彼の自己紹介フレーズは何度も出てくるが、これは若干の皮肉と遊び心だったのだろうか。
そう考えると、エンディングで流れる、
空き地をバックに寒そうに歩く青島の演出も見事だなと思った。
フジテレビはこの時、業界でも断トツでトップのテレビ局だった。
就活する大学生が最も憧れた企業の一つと言っても過言ではないだろう。
そんなテレビ局が、必死に盛り上げようとした結果
多くの観光客が訪れ、発展していった。
たった数年で東京でも有数な観光スポットになった。
私は今でもお台場が好きだ。
レインボーブリッジを渡るというイベント性もあるし、
対岸の、東京都心の景色は今見ても圧巻だ。
また、何より今でも駐車場が多く、車を止めやすい。
さらに1997年、私が東京に来た年から発展していったこのお台場の地は、
なんか昔の同期と会った様な懐かしさがあるからである。
あれから27年。。
歳をとった自覚は、まだ無い。。・・・