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#85 怒りの矛先
常々、顔には出さないが自分は苛立ち静かに怒っている。
怒りは力をものすごく使う。
さらに、自分の理性を壊す力を持っている。
その瞬間の爆発は、信じられない力をもたらす。
時に人を殺したり、物を壊したり、無理だと思う事をこなすことができたり。
なぜ怒るのか
それは期待していたり、成功するイメージをしすぎるから。
常に、失敗したり、そもそも完璧になんてできないと思える人はあまり怒らない。
つまり自分にも相手に期待せず生きていければ幸せな日常が待っている。
人は人私は私。
なかなか簡単にできる事ではない。
自分が自信を持って行なっている事があるとそこでも苛立ってしまう。(自分はできるのに)なんでできないんだ!という気持ちが前に出てしまう。
まだ始めて間もないひと、あるいは長年やっている人でもミスはある。そこを気にしない。
気にしたら最後。
自分もそう心がけているけれど、
どうしてもイライラしてしまう。
そんな時、体を動かしたり、没頭できたりする趣味があると案外忘れてしまったりして正常な状態に戻る。
しかし自分にはそのようなものがない、
ゲームをしても仲間の動きがイマイチだとイライラしたり、自分のプレイにイライラしたり
外に出たら人と話さなければならない
自分がどんどん嫌いになっていく。
外見は笑顔でも、ずっと内側は歯を食いしばっている辛い。
だから早く若くしていなくなりたい。
体もいらないし、心もなくていいから、無機質な感情のないものになりたい。
ただ苦しいことに目を向けているからじゃ笑
と思うかもしれないけれど
楽しい事なんて広い川の中から砂金を探すようなもので
日常ほとんどが砂利。
砂利の中でもがいて苦しむ。
そこに砂金はないのに
あると信じて探し続ける毎日。
もう疲れた。
親のような親になりたくないから
結婚はしたくない
子供に暴力を振るいそうで
絶対に治らないと思っている
やられたことは、繰り返される。
これからの未来を背負うのはそんな暴力を振るはない親から優しく育てられた、痛みを分かち合える人達であるべき、
自分の一族は自分の代で断ちたい。
こんな悲しい生活を送らないために。
もっと幸せな温かい家庭に育ててもらうために
一つの未来を自ら断ちたい。
孫の顔が見たいと言われても絶対に見せない。
親が死ぬまでは結婚もしない。
心の底から好きになれない。
自分の好き勝手に暴れて、時には子供にも手をかけて、それを支えない父も、もう何もかもが嫌い。
毎日酒とタバコでボロボロになった親を見て
何もしていないのに怒られ、
よくあの頃耐えていたと思う。
というかそれが僕の普通だった。
小学生で首に包丁を突きつけられ、首を絞められ、親が自分の腕に包丁を突きつける🔪
僕は「ママ、死なないで」と叫ぶしかなかった。
親から褒められたことも忘れてしまった。
怒られた記憶しか残っていない。
20代になってから、
「褒めて育てればよかった」と言われた。
すごく辛かった。
どうしようもない感情に襲われた。
20年かけてできた子供は失敗作だった。
就職をしても2年で辞め、派遣社員。
世間的には残念な息子さん。
何かと幼い頃に親に矯正されたせいで
自分の意志がない。
意志という感情の上にあるあかずの蓋が幾重にも重なっている。
そのおかげで普段感情をあらわにすることはないけれど。
そんな自分25歳
社会に出て気づく、人としての感情、経験、意志の成長の差。
やりたいものを掴んできた人との埋めようもない
大きな差。
実質5歳児並みの感情で動いている。
今の5歳児の方が大人かもしれない。
そして成長を自ら絶ってきたのも事実。
もう自分が通る道に光は当たらない。
自分が一番分かる。
「もう何も残っていない。」
何も手がつかない、ただ焦りと劣等感だけに包まれる。
結局自分は空っぽ
何も入らず、何も生み出さない。
人を不幸にさせる言葉を吐き散らす。
自分が嫌いだ。
間違えて生まれた失敗作。
怒りの矛先は自分に向いている。