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【創作】ローレルリース

「おい、クリス!主役のお前がどこへ行く?」

後ろからムンズと肩を鷲掴みにされ引き戻される。心の中で舌打ちをして渋々振り返ると、目の前にはジョッキから豪快にビールを垂れ流してふらつく男。

「抜け駆けとは見過ごせねーなー。」

酒臭い息と唾を撒き散らしながらくだを巻くこの男はマルティン。腹心の友…とまでは言わないが、船乗りとしては厚く信頼を寄せる男だ。実際、修復不能と思われた故障船を見事に立て直し、わずか数日で船団との合流を果たしたのだ。

「自然が俺を呼んでるんだよ!足元にぶちまけられたくなきゃ、その手を離せ!」

大声で耳打ちすると、マルティンはガハハハと下品に笑ってシッシと手を払いながら、酔っぱらいたちの波間に消えていった。

ごった返すむさ苦しい男たちを掻き分け、ようやく店の入口に辿り着くと扉を細く開く。するりと身を滑らせて酒場の外へと抜け出した。店内の喧騒が遮られた静かな夜の空気が、安酒と人混みで火照った体を心地良く冷やす。

溜息をひとついて空を見上げると、満点の星空に夏の大三角が見えた。明日の今頃は貿易風をつかまえて、西の洋上から見上げるだろう星空だ。そう頭をよぎった瞬間、期待と不安の入り混じった感情の波が押し寄せてくる。

宿屋に向かおうと視線を空から下ろすと、月明かりに照らされてぼんやり光るアーチが見えた。小さな黄色い花を散りばめたつたに巻かれたアーチ。そっと近づいて覗いてみると、その先には霧に包まれた小径が続いている。

乾いた街中とは明らかに異質な空気。こんな場所があっただろうか。不思議に思いながらも、どうせすぐには眠れそうもないので、少し歩いてみることにした。

苔むした幹から、身をよじるように大きく広げた枝葉を揺らすのはゲッケイジュ。湿った土の香りがする。明日出港すれば、数ヶ月は土を踏むこともできまい。しっとりとした土の感触を足の裏に感じながら小径を進む。

木漏れ日のように枝葉から漏れる淡い月明かりが霧に溶けていく。そんな幻想的な森の中を進んで行くと、目の前にひときわ立派な大樹が現れた。大地を這って広がる根から伸びた朽ち果てた幹、その周りから幾つもの若い幹が伸びている。まるで一本の大樹のように、月明かりに照らされて静かに佇んでいる。

驚いたことに、その大樹の太い根っこに腰かける人影があった。少女だった。

「こんばんは、お嬢さん。こんな夜更けに森の中で何をしているんです?」

少女がゆっくりと振り返る。年は15、6だろうか。まだあどけなさの残る柔らかな輪郭に凛とした瞳。脅かしてはいけないと努めて紳士的に声をかけたが、彼女の瞳には恐れも不安もない。

「こんばんは。ここで待っているんです。」

「待っている?一体誰を?」

「恋人です。」

ほんのりと頬を染めてはにかむ笑顔がとても愛らしい。

「今夜、このビニャティゴの樹の下で会おうって約束したんです。」

「なるほど。それはお邪魔しましたね。ですが、夜の森は獣も多いし物騒だ。良ければ恋人が来るまでご一緒しても?」

「…えぇ、構いません。」

そういうと少女は視線を手元に落とし、再び指先を動かし始めた。どうやらゲッケイジュの葉でリースを編んでいるようだ。

「手先が器用ですね。恋人に?」

少し離れた根っこに腰を下ろして問いかける。

「えぇ。わたしたち婚約したんです。もうすぐ結婚するはずでした。」

「…はず?」

「婚約発表をしたその日に、テイデ山が噴火したんです。多くの犠牲者が出ました。両家はこれを凶兆として、婚約を破棄してしまったんです。」

テイデ山といえば、東のテネリフェ島の最高峰。確かにひと月ほど前だろうか、我々がこのゴメラ島に寄港した頃に火を噴いたことがあった。

「犠牲になった人々を思うと心が痛みます。でも、山の噴火はわたしたちのせいじゃない。わたしたちが自分たちの幸せを諦める理由にはならないはず。そうでしょう?」

憤りとも悲しみともつかぬ苛立ちを放った彼女の瞳は強い決意に満ちていた。

「だから、わたしたち家を捨てていっしょになるって決めたんです。もうすぐ彼が迎えに来ます。」

「…なるほど。」

駆け落ちか。しかし見たところ良家のお嬢様だろう。そんな世間知らずの若いお嬢様が家を捨てて生きていけるほど世界は甘くない。連れ戻されるのがオチだろう。

「あなたは?あなたは、こんな夜更けにどうして森に?」

唐突に問われて、思わず頭を掻いた。

「いやぁ、お恥ずかしい。大の男が怖気付いたんですよ。」

情けなさに苦笑する。

「長年の夢であり、亡き妻との約束。苦労に苦労を重ねてようやくそれを叶える今になって足をすくませてるっていう情けない話ですよ。酔えもせず、眠れもせず、ふらふらとこんなところを彷徨っている。」

「まぁ。ふふ。」

少女がふわりと笑った。

「大の男でも足が竦むんですもの、わたしみたいな小娘だったら当たり前ですね。なんだか勇気が出ました。」

どうやら怖気付いた情けない男の姿が、目の前の少女を勇気づけたようだ。

「おーい、ガラ!ガラー!」

遠くから呼び声が響いた。振り向くとずぶ濡れの青年が走り寄ってくる。息を弾ませ大きく手を振って走りより、そのまま少女を抱きしめた。

「ホナイ。あぁ、無事に渡れたのね!良かった!」

霧の中、月明かりに照らされたふたりの抱擁は瑞々しく、儚く、まるで絵画のように美しかった。しばしそんなふたりに見惚れていたが、これ以上自分がここに留まるのは無粋だと我に返り、静かに立ち上がろうとした。

「あ、ちょっと待って。これ。」

少女は先ほどまで丁寧に編んでいたリースをそっと私の頭に載せる。

「ゲッケイジュの花言葉は『勝利』『栄光』。奥様との約束が果たせますように。きっと、あなたなら成し遂げられますわ。」

「いや、しかし、これは…」

愛する婚約者のために編んでいたものをもらうわけにはいかないだろう。

「どうか、受け取ってください。ボクたちは今、自分たちの幸せな未来をこの手に勝ち取ったのです。そのリースはぜひあなたに。」

青年の凛とした真っ直ぐな瞳は少女のそれと似ていた。青年は先ほどまで少女が葉を摘んでいたゲッケイジュの枝を拾い、もう片方の手でしっかりと少女の手を握りしめた。

「さぁ、ガラ。行こう。僕たちは自由だ。」

少女は眩しいくらいの笑みで頷いた。そうしてもう一度こちらを振り返ると「さようなら」そう言って青年と共に森の奥へと去っていく。霧に包まれていくふたりの姿と共に、意識が微睡まどろんでいった。

***


ガインガインガインガイン!!!!

耳をつんざく爆音に飛び起きると、目の前のマルティンが剣の鞘で鍋底を叩いている。

「ようやくお目覚めだな、提督殿!昨夜は抜け駆けした上に朝寝坊とは、随分な気合いの入りようじゃねーか。」

「寝坊だと!?今何時だ??」

ベッドから飛び上がり、まだ半分寝ぼけた頭をクシャクシャとかき上げる。

「ガハハ!案ずるな。朝の5時、予定通りのお目覚めだ。感謝したまえよ、提督殿!」

ニヤニヤしながらマルティンが指先で回しているのはリースだった。

「抜け駆けして女に会いにいくとは、隅に置けないねぇ。」

「そんなんじゃない!」

リースをむしり取ると、摘みたての葉の香りがほんのりと漂った。

「幸運のアミュレットとして提督室にでも飾っておけよ。ひと夜の思い出と一緒にな。」

ウィンクして逃げるように部屋から出ていくマルティンに枕を投げつける。まったく。相変わらずふざけたやつだ。

それにしても…。手の中のリースをまじまじと見つめるが、酒場を抜け出してからの記憶が薄ぼんやりとしている。

もう一度クシャクシャと髪をかき上げて立ち上がり、ボウルの水でじゃぶじゃぶと顔を洗う。くすんだ鏡に映った腑抜けた男の頬を、両手でバチンと叩いた。

今日のためにアイロンを頼んでおいたリネンシャツに袖を通す。磨き上げたブーツに、ウールのジャケット。提督帽はしっかりと小脇に抱え、リースをぎゅっと頭に載せた。

「よし!」

勢いよくドアを開けると、廊下の壁にもたれて待っていたマルティンがニヤリと笑う。

「いい顔だ、提督殿。」

「当然だ。栄光の道をいざ参らん!」

***

あとがき。

1492年9月。ゴメラ島での補給を終え、黄金の国ジパングを目指して出航した男はクリストファー・コロンブス。これは出航前夜の物語。

ひと月後、3隻の船団が辿り着いたのはジパングではなかった。けれど、彼が大西洋を横断してアメリカ大陸に上陸したことは、大航海時代における重要な歴史的事象である。

また、ガラとホナイは山の名の由来ともなった伝説の王女と王子。コロンブスとガラとホナイが紡ぐこの物語は、伝説をヒントにした完全フィクションであることを改めて述べておく。

次回はこの物語のたねとなった世界遺産について語ります。


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クルクリ
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