大人or子ども 造花or生花
私は最近、もっぱら夢中になっている一つの議題があって、それは
「私は大人なのか、子どもなのか」
というものです。ディベートは私の脳内でしか行われないため、完全に迷走しています。
私は子どもとして、もう少しだけ生きてみたいのです。衝動性は火花のようで美しかった。不安定さも、まるで生きた花のようで、今考えれば全然悪いものでは無かった。
今じゃ、保身ですよ。ソシャゲなんてやらなくなった。それに夢中である自分も含めて、昔は好きだったのに、時間ない体力ないって決まり文句でテトリスのレベルだけが上がっていく。
昔好きだったアーティストの曲も、聴けなくなってしまった。あんなに好きだったのに、なんとなく今の私はお呼びでない感じがして。なんなら、あの時の私が追い払っているのかもしれない。尖っていたから。
衝動性も前に比べたらめっきり落ち着いて、それは間違いなく喜ばしいことなんですけど、なんとなく寂しいというか、なんというか。気持ちが大きく動くことが減ってしまって、花火が、パチパチって一生を一瞬にかけるみたいな、そういうことが本当に少なくなってしまった。つまんない文章しか書けなくなっちゃったしさ。
大学に行っていたらあと二年は学生だったわけで、本来まだまだ子どもでいられるはずなんですけど、ずっと私は背伸びしてしまうんです。したくないんですけど。
大人になるって、均等に綺麗で生涯変わらない、造花になっていくみたいな感覚で、それがとても怖くて。私はずっと私でいたいし、社会人になるからってヘコヘコと大人になるようなマネは絶対にしたくないのに、自分でも気づかないうちに、まるで滲みながら溶け込んでくるような「大人としての自覚」から逃れられないのが苦しい。本当の本当に社会になんて出てしまったら、インターネットアイドル目指すぽよとか言っていた私は、二度と開かない棺桶行きかもしれない。絶対に嫌だ。ちょっと痛いくらいが眩しいのは陽射しも生き様も一緒。
今日もまた、このことばかり考えてしまった。好きなようにしたら良いのにね。難しいね!