ブタの貯金箱
私は、夢とか、好きとか、そういうものが昔からはっきりしなかったように感じる。
なんとなく、お花屋さんになりたいとか、お医者さんになりたいとか、小学校のアルバムに書いてみたことはあったけれど、国語算数理科社会、45分ごとにめまぐるしく詰め込まれる前後不覚な知識たちに、それらは飲み込まれていった。
国語以外の教科はめっぽう駄目で、国語に関してだって、現代文しか好きではなく、その現代文に関しても、「作者の気持ちを説明せよ」という問題の回答は、いつも赤い△に踏みつぶされていた。
いつも自己嫌悪に忙しかった私は勉強がとにかく嫌いで、それから逃げるように美容の専門学校に入学した。美容師になりたかったわけではなかった。
夢とか、好きとか、名前を付けてしまったら、それから離れた時、夢を諦めたとか、好きじゃなくなったみたいだから、言いたくない。みんなは推しとか好きとか簡単に口に出して、何ヶ月後かにはそんなこと忘れて別の何かに夢中になっている。残酷だと思う。好きだなんて名前をつけなければ、私達が手を繋いで輪になったその真ん中で、彼が屍として眠ることはなかったのに。酸素が好きだから生きているわけでも、酸素が嫌いになったから死ぬわけでもないのに、名前をつけたらまるで酸素が悪いみたいになるじゃない。
そんな私にも、ちょっと良いな、と思える未来の展望ができた。でも、叶ったらいいなってたまに考えるだけで、誰にも話さず、心の中のブタの貯金箱に、しっかり四つ折りにしてしまっている。それで私にはちょうどいい。残酷な名前をつけられることが怖くてたまらない、臆病な私には。