地頭がいいという呪い。

「地頭がいい」

僕は何度かこの言葉で形容されたことがある。
自分でもそこそこの地頭してると思う。

昔は言われると普通に嬉しかったけど最近はそうでもない。
本当に頭がいい人を知ってしまったし、少し言われ慣れたし、何より胸を張れない。

就活で自己分析をしたときに、長所が地頭のよさしか浮かばないならこれまでの23年は何をしていたんだろうと思ったりもするけど、一つでも本心からの長所が思いつくという点に関しては、賢く生んでくれた両親への感謝しなければならない。

今更ながら地頭のよさという表現が少し曖昧なので僕の中での定義、イメージについて言及しておくと、
発想力、コミュニケーション力、頭の回転の速さ、計算力、創造性 etc...
全般を持っていることだと思う。

一見すると努力に依らず先天的と思われるスペック全般に優れる人間に対する表現。

こう定義するとハイスペックに感じるが少し器用なだけだ。
少し器用なだけの人間なんだから継続とか努力ってものがないと何者にもなれない。

そんな当たり前のことに気づいたのが20近くだったんだけど、もう完成されつつある脳みそに致命的な欠陥が生じていることに気づいたところでどうすればいいのかわからない。

ただ、器用貧乏で地頭がそこそこいい人間はどこでそういったものを身に着ければいいんだって思う。

何もしなくても全科目100点とれて足が少し速ければ人権を得られる小学生時代。
調子乗って中学受験してみたら申し分のない中高一貫校に受かってそれなりに落ちこぼれつつまあでもなんとかなる中高時代。
上手にパラサイトして無意味で面倒なだけの課題を消化する大学時代。

23にもなったが僕のやってること出来ることは小学校時代から何一つ変わっていない。
勉強の仕方も頑張り方も何も習得できてない。

こうやって人生振り返ってもどこで努力とか継続を身に着ければよかったのかがわからない。
大学院でとても苦しい今がその時なのかもしれないけれど。

さておき、現状の自分を形成したのはこの中途半端な頭の良さなんじゃないかって思う。
漫然と生きてるだけでそこそこ上位の環境に紛れ込んでしまった。
だがそんなのは大人になれば通用しない。

というわけでタイトル、地頭のよさは呪いだ

僕よりも地頭に優れていれば大人になっても優秀でいられるかもしれないし、もう少し悪ければ変われる機会が増えるのかもしれない。

けど、同類も結構いるんじゃないかって思う。
高学歴ニートとかそういう奴らの集まりでしょ。
俺はニートにはならんけどな(希望的観測)

ところで、地頭がよくてさらに努力もできるチートみたいな人間はどう育てられたんだろう?

僕みたいな人間を作らないためにもどう育てられたのか本にまとめてほしい。ちゃんと買うので。

ところでのところで、最近就職先の格を下げればまた地頭ブーストが発動するんじゃないかとか思ったりもする。
僕は多分バカに囲まれて輝く人材だ。異世界転生をさせてくれ。

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