私の人生
2日目です。
幼少期の私はとにかく母に愛されたかった。
寂しかった。
どんなに意地悪をされても
憎しみよりも寂しさが勝っていたと思います。
そして大家族でありながら
家族の温かさみたいなものは感じることが
出来ずに育っていきました。
いつも面倒を見てくれるのは祖父母で
1番嫌だったのは幼稚園の送迎です。
周りの子達がいつも羨ましかった。
何故うちはお母さんではないのか?
私だってお母さんに来て欲しい
そんな気持ちを抱きながら
それでも母には言えなかった。
その時何故言えなかったんだろう
もっと心の叫びをぶつけていたら
状況は変わっていたかもしれない
もっと私を愛して欲しい
私を愛しているのか
大切な存在なのか
聞くことが出来たら‥
でも言えなかった
怖かった
何が怖かったのか?
また母を失うのではないか?
それとも両親の喧嘩?
家族間での喧嘩に恐怖を感じていたのか?
心では泣き叫んでいたと思います
私を見て欲しい
私を愛して欲しいと
もう喧嘩しないでって
もっと仲良くしてって
我慢することが当たり前に
本心を言わないことが当たり前に
そんな幼少期でした
曽祖父はとても優しい人だったぐらいの
記憶しかありません
祖父母は厳格な人で
とくに祖父は短気で厳しく
私にとっては1番怖い存在で
祖父の前で泣くことは
許されませんでした。
父も祖父と同じように短気で
祖父(父にとっての実のお父さん)
とは馬が合わずというより
父はいつも祖父に対してイライラしていました。
口を開けば争いになり
それは祖父が亡くなるまで続きました。
父は私には優しかったんだと思いますが
(幼少期は怒られた記憶がない)
それでは私の記憶の中での父は
いつも鬼の形相
そして母をいじめる父
いつも家に居ない
そんな存在でした。
かすかな記憶として
父がフォークギターを弾いて一緒に音楽を
聞いていた時はとても穏やかだったような‥
楽しい記憶も
穏やかに過ごしていた記憶を
きっとあったと思いますが
思い出せない
思い出したいのに思い出せないのです。
嫌な記憶ばかりが蘇ってくるのです。
そんな幼少期から小学校に上がりました。
七五三では沢山のお客様の中で
私は挨拶をするだけなのに
ドキドキしていた記憶があります。
ちゃんと言えるだろうか?
言えなかったら怒られる!
その頃から自己肯定感は低く
いつも自分に自信がなかったように
記憶しています。
小学生になってからは
通信簿が悪ければ
母に恥ずかしいと言われ
通信簿を母にもっていくのが憂鬱でした。
また怒られる
夏休みは遊ばせてもらえないと思うと
夏休みは嬉しいはずなのに
私にとって夏休みは嬉しくなかったのかも
しれません。
6年生の最後の通信簿で初めて褒められて
とても嬉しかった記憶があります。
小学校の頃も母の顔色を伺う子供だったので
褒められると嬉しくて
理不尽に無視されても遊ばせてもらえなくても
母に言われたお手伝いは毎日続けました。
こんな家庭環境のなかで兄妹もなく
大人しかいない中1人ぼっちで育ってきて
自分の中は辛いこといっぱいあったのに
寂しと思うこといっぱいあったのに
周りからも家族からも
私は恵まれているんだからとか
1人娘だからわがままに育ったとか
散々言われてきました。
お金にも困ったことはない
衣食住に不自由したことはない
恵まれていると!
だから表では何一つ心のうちを明かさない
とてもいい子を創り上げていきました。
ここまで読んでくださりありがとうございました(^^)