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誰のための努力?


#想像していなかった未来

今、離婚して故郷に戻り、娘と2人でアパートで暮らしています。収入は月でカツカツですし、正直肉体労働なので将来の心配はあるのですが、今のところ結婚していた頃の生活に戻るつもりはありません。

結婚中は夫の仕事を支える立場にあったし、不労所得もありましたので、正直夫から離れる時にはやっかみも受けました。働かないのに収入があるなんて恵まれてる、なんて贅沢な、って。

でも、その待遇、私には重荷だったんです。

直接言われたことはないんですが、何かもらったら返すのが当たり前、と考えて生きてきました。
そうすることが人としての礼儀だと。但し私には収入があまりなかったので、代わりに労力と時間を提供することで恩を返してきました。
手作りのものを贈る、知恵を貸す、代わりにやってあげる、などでその恩に報いてきたつもりでした。

でも、夫の家族は、目に見えるものしか価値を認めない人たちでした。

結局は価値観のすれ違いだったと思います。
結果、自分の思う貢献ばかりに気を取られ、自分がどんどんすり減ってしまいました。多分、なぜ私がこんなに傷ついたかは、多分永遠に分かり合えないだろうと思います。

最近思うのです。こうしてひたすら自己奉仕することも、結局認めてもらいたいという自分のエゴだったのかも知れないと。
確かに頑張った末に認めてもらえるのは嬉しいものです。でも、それで相手の基準を満たすまで出来ずに自分を壊しては、あまりにも自分が可哀想すぎると。

まあ、そう考えてから、日々の目標を低めに設定して、とりあえず生活できる範囲まで仕事できればOK、と仕事量を制限することにしました。
まだ正直バランスが取れてないところもあるし、思い通りにいかないこともありますが、仕事仲間にも助けてもらいつつ、コツコツやってます。幸い年代も上の方が多く、技術もさることながら色んな人生のアドバイスを得て、働きやすい職場になってます。

正直、60,70になっても働くなんて昔なら考えなかったです。でも、毎日体がしんどいと言いつつも、キビキビと働く姿を見て、老後もいざとなったら働き場があるんだと勇気をもらっています。
これからも体と心に気をつけつつ、自分のできる範囲で働きに出ようと考えています。

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