爆弾の作り方〜膀胱の超新星爆発に寄せて〜
札幌はマイナス10度殺意剥き出しの大寒波。ホワイトアウト視界0の世界を手探りで走行し出社。渋滞により膀胱が超新星爆発寸前だったが、なんとか括約筋の大活躍のおかげで耐え切った。
星は死ぬ瞬間にとんでもない大爆発をして消滅するらしい。実際に見たことはないのだが、”安らかに”とはほど遠い最期を迎えるそうだ。
自分がもう限界だってなると道連れにしてしまえという発想なのだろうか
マルマインの大爆発やばくだんいわのメガンテのような捨て身の攻撃ってのは迷惑極まりない。考えてみたらマルマインとばくだんいわってシルエット似てるよなあ。爆発するものってのは丸いイメージがあるんだろうか。
梶井基次郎は檸檬を時限爆弾に見立てて本屋に仕掛けるという奇行をして見せたが、あのラグビーボールのような形状はなんとなく爆弾ぽさがある気もする。手榴弾とかってあんな形だよね。
人を殺すための爆弾ってのをどうして人はつくるのだろうか。使わない前提のものをどうしてつくるのだろうか。
抑止力として。いじめられっ子が部屋にこもって爆弾をつくるようなものかもしれない。武力的強者に対していつでもやれるというカウンター能力の所有は後天的に精神のたくましさに繋がることもある。
実際、ピーチやソラのようなカウンターを持ってるキャラには迂闊に攻撃できなくなる。
キューブリックの「博士の異常な愛情」という映画では、人類を滅亡させる規模の核爆弾を巡るユーモラスな駆け引きが見れるが、終いに抱く感想としては”人類の愚かさ”であろう。
いつまで経っても人は殺し合うし、こうしている今もウイグル自治区では非人道的極まりない愚かな中国共産党政府の暴力が横行してるし、切ないもんだ。
どこかの戦争の話で、戦線の最前線で雪の降らない国に雪が降ったそうだ。雪の降ったその日だけ休戦状態になったという。
暴力や憎しみの対義語は「美しさ」なのかもしれない。美しさは愛であり、言語の違う人たちの心を繋ぐ架け橋となりえたのだと思う。
緊張状態の戦場で人の心を少しだけ和らげてくれるそれは、祈りのようなもので、雪の降らない国に雪が降るような奇跡を”祈り”と呼ぶのである。祈ることで世界には愛が伝染し、習近平や北朝鮮の角刈りのような悪魔を人間界から退治し平和な世界に導くだろう。
中学の頃、amazarashiの「爆弾の作り方」という曲を聞いていたのを思い出し十数年ぶりに聞いてみた。当時は意味不明な歌詞だなと思っていたが、ちゃんと聞いてみたら部屋で爆弾をつくる曲ではなく、歌を自分の兵器としてつくるという曲だった。
虚無的なイデオロギーを打ち砕けるような、確固たる兵器たりうるアイデンティティを身につけたいものだ。しかしながら、夢想儚く、自分にとっての兵器がいまだわからないわけで、こたつにこもりながらスマブラを極めることにする。
せっかくだから、かなり苦手なキャラだが、スティーブのTNT爆弾をうまく使いこなせるよう練習する所存。