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何もしないのは色々とまずい

ここ数日、朝の散歩を除いて、1歩も家から出ていなかったから、精神的にかなりきつかった。虚無感とムカムカするようなきつさ。加えて、暑さで体もだるかった。だから、今日は特に予定はなかったのだけど、気分転換に街中をぶらぶらした。すると少しは気分が晴れやかになった。多分、ずっと家にいたのと、ここ数日は何も予定がなくて、暇だった、何もしていなかったのが原因だと思う。何もしていない=成長していない、ということだから、モヤモヤ感もあったのだと思う。

それに今住んでいる実家は狭い家だから、物音一つ立てないようにめちゃ気使う。他にも料理のことで色々口出しされたり、自分と考えが合わない親との時間もストレスだった。好きな映画も上映分は最近ほぼ見てたから、やることが本当になかった。別に何もしたくないというわけではなく、役場の手続きとか車校とかすべきことは大体終わらせてたし、ここ数日はたまたま何もすることがなかった感じだと思う。

このままではまたうつになって心を崩しそうだから、とりあえず何かしないとなと思った。夢や目標があるなら、それに向かって頑張るのがいいけど、今の自分にはそういう具体的なものがない。だから興味があるイベントに参加するとか、人に会うとか、講演会に足を運ぶとか、ボランティアするとか、新たにスポーツ始めてみるとかしたいな。とにかく暇な時間を作らない。何でもいいから何かする。幸か不幸か、時間は今充分あるから、今できることをやりたいと思う。

ずっと家にいても何も学ばないし、成長しない。無職だから、自分で予定や計画を立てないと、一日何もしないまま終わる。それはまずい。できるだけ、何かするようにしたい。そう思って、翌日はジャーナリストの講演会とキリスト教の礼拝に初めて参加した。講演会の内容はそんなに面白く無かったけど、2時間も話を聞いた充実感みたいなのがあって、精神的には良かった。午後の礼拝は聖典の勉強もお祈りも全てが新鮮で面白かった。まさにカルチャーという感じで、異国にいるような感じだった。外国人の宣教師たちもみんな優しくて、居心地も良いから、時間がある今、折角の機会だから、キリスト教や聖書を学ぼうかなと思った。この日は久々に充実した一日を過ごせたと思う。ここ数日の心のきつさ的なものも無かった。

やはり、何もしないよりは遥かに、何でも良いからやった方がいいなと感じた。興味あることでも、好きなことでも、将来のための勉強でも、遊びでも。闘争や億劫になる手続き(出来れば避けたいけど)とか嫌になるようなことでも、何もやらないよりは何倍も心に良い。何でも良いから何かに没頭することだよな。暇すぎてもきついし、かといって忙しすぎるのはそれでまた違うきつさがあるし、塩梅が難しい。

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