選択傾向が違っても、相手を間違っていると言わず、尊重し合い、仲良くできるか。
仲良くといっても、ベタベタ共にいるという意味ではない。
コロナ、ワクチンにおける様々な選択において、私個人がようやく思うこと。
自分の魂における立ち位置は、
地球は他者を害する操作性の強い傾向にある異星人の元に支配されて今があり、現在はその影響下にある人間たちがつくりあげてきた様々なことが崩れていっている渦中である。よって、一部の人が陰謀と表現している物事やその発端になっている存在はいるのだ。
というものを念頭に、支配のなかで纏ったものを浄化する、そこから自由になっていく方法を発信するというものだった。
しかし、それは時代の流れの方向性において正しいだけであり、生命体個々の主張においては、正しい・間違っているというのは無いのである。
善性を生きたい人は、この流れにおいて、ワクチンはあーでこーだからどうしたほうがいいと思う、という発信をするのだと思う。とても勇気のいることだと思う。ただし重要なのは、選択・主張傾向が違っていても、自分が正しくて、相手が間違っているという観念から出て、自分が自分を認めるように相手もそうなのだと思えるか。穏やかに話が出来るかということではないかなと思う。
ウルトラマンAで言われている、『どこの国の人たちとも』ってそういうことも表しているんじゃないかな。
スターシード系の人たちが、ワクチンは打たないほうがいいと直感で来ていたとよく言っていたが、私には来なかった。当時、充分直感を受け取れる状態にあったにも関わらずだ。
なぜ教えてくれなかったのか、当時の守護霊さんに抱く複雑な気持ちについては放置するが、今になって思うのは、どちらの気持ちも味わうことになっていたのかなって。
私はワクチンを二度続けて接種している。ワクチン接種している人々に対する打たなかった人たちの言い方を見ていると、気持ちは複雑なものだった。
真剣に悲しがっていたり、かわいそがっていたり。その他諸々。
それって自分たちの気持ちであり、相手の気持ちではないのだよね。