【物語を読んで】最高の娯楽を得るために、人は動いているかもしれない。
沢山の物語を読んでいると、思うことがある。
【人が多くなるほど声は大きくなる】
街中だとそんなに気に留めない雑音でも、
一つの空間で集まったらより煩く煩わらしく感じる現象。
物語を描く人は、この集団性を使った壮大な世界観を連想し作り上げている。
『多数派の常識から、革命を起こす少数派』
この心理を舞台にして描く。
言わば逆転劇を好んで描くことが多いなって思った。私もこの逆転劇は、好きでよく読んだりしてる。
一人一人の多様性が、ぶつかり合って共存していく世の中であり、沢山の正義と言うなの多数派の思考で出来た世界。
多様性を認め合うことで生まれた世の中。
でもそれは、認識の違いによっては、
自身価値観の箱に収まらないものであれば
それは異分子となり、恐れられる。
土台がしっかりしてそうで、危うさがある。
だから、皆好んで物語を生み出すのだろう。
【可能性の話をする】
・少数派が正しいことをしている。
・多数派は、間違いを犯している。
と言う過程で考えてみる。
Q第三者視点でみた私はどちらにつく?
『少数派』参戦するだろう。
では、この情報を知らなかった場合。
どちらに信憑性があり、信じるのかを考えたら
『多数派』が無難だと考えてしまう。
理由は人数が増えるほど、情報は多くなるから
ただ、多数派の情報より少数派の発言は密度が深くなる現象も起こる。
それは、自身で疑問を持ち調べようとするから
多数派の人は、『事実』より『娯楽』を優先する。その方が楽であり、流れに身をまかす方が無難だからだ。
そして、多数派からの派生で『よく分からんからどちらにもつかない』が生まれる。
傍観者と言う。自身は関係ないから安全地帯から眺めようの思考が生まれる。
では、どちらにもつかない派の人達は、
『事実』を知り『少数派が正しい』となった場合。それらの人達は少数派に流れるだろう。
そう考えると、人は『娯楽』を優先しているのかもしれない。
最高の娯楽を得るために、人は知識を得る。
感情があるから知識を得ることができる。
その感情自体が『娯楽』であるってこと?
私の中で、
『知識力=最大の娯楽』の方程式が誕生した
あー。だから、人は理性があるのか。
理性があるから、物語や創作物に落とし込んでるってことなのかも。
理性がなかったら、知識と思考の渦で行動してしまう本能剥き出しの人間(生命体)に変わっちゃうもんな。
『よく出来てるな人間』っとしか考えられなくなった。