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新興宗教にハマらなかった経緯5
《彼氏ができたことはひみつ》
毎日の専門学校が、とても楽しい!
私は成績上位者として授業をこなすことができていた。
美術以外の授業で常に落ちこぼれだったから、「よくできてる」状態が生まれて初めてに近しい。
しかも、学校の何人かの男子と異性として意識しあったりして・・・!
そんなことは冴えない高校生活の中では皆無だった。
毎日が今までになくルンルンだった。
カルチャーセンターの人もよくしてくれる。
私の担当をしてくれる菅野さんは、美しい顔立ちの女性だ。
この施設の運営団体に出会う前は、高級なアパレルブランドで働くショップ店員だったという。
「私はここにきた頃は、今よりずっと痩せててね、オシャレに一生懸命で。それでね、いつも悩んでたの。」
苦しめられた美への執着を手放したとニコニコ笑う今の彼女は、ショップ店員だったことが想像できないほど垢抜けないけど、いつも優しい。
とある日のカルチャーセンターの講義は、いつもと違った。
ビデオの代わりに用紙を渡され、子供の頃の出来事についての質問があるアンケートに記入するよう指示を受けた。
書けた頃合いを見計らい、菅野さんがやってきて、
「では、今日は子供の頃について振り返りましょう。」
と伝えられた。
私は淡々と当時のことを振り返った。
「とにかく忘れ物が多くて、英語と算数が本当に苦手で、暗記するのも苦手で。
頭がぼーっとしちゃうぐらい苦手で。
本当は絵を描きたいのに。
なんかすぐ疲れちゃって、自分の部屋にこもってずっとベッドに横になって。本当にずっと寝てて。
親は忙しいから特には勉強を教えてくれるわけではないんだけど、親の足音聞いて飛び起きて、勉強しているふりをしていました。」
まとまらない話を相槌を打ちながら聞いていた菅野さんは、不意に私の手を握りしめた。
そして、こう言った。
「苦しかったでしょう。本当に苦しかったでしょう?
頑張ったね。」
・・・ん?
これが頑張ったって?
何のことだろう?
むしろ、私は何も頑張れなかった。
やらなくちゃいけないことを、頑なにやらなかった。
菅野さんが言ってることが、全くわからない。
でもなぜか、涙ぐんだ。
(あれ?どうして胸が熱くなるの・・・?)
私の父も母も子供の頃成績が良かったそうだ。
毎日、毎日、こんなふうに言われていた。
「お父さんとお母さんの子供だから、やればできるはず。
お父さんとお母さんの子供なのに。どうしてやらないの?」
私はうちの子だから優秀な遺伝子なんだよと、母から欠かさず伝えられていた。だから、私は、許されるはずないんだろう。
消えてしまいたいとは思ってたけど。
これは苦しみだった。
(全部苦しかったんだ・・・。)
はじめてなされた認識だった。
発達障害という言葉が一般化しだすまで、この時からあと5年ほどかかる。
自分が発達障害グレーゾーンにあたるだなんて知りもせず、ただ受け入れてもらえるという体験をしたのだ。
これが、「癒し」だったと知るのは、ずっとずっと後の事・・・
こうして私は、菅野さんに心を開き始めた。
だけど、時々彼女が変なことを言ってるのにも気づき始めた。
「乱れた男女関係」という言葉を頻繁に使うようになってきたのだ。
男女の付き合いについて、潔癖ともいえる信念を持っていることが窺い知れた。
菅野さんはモテたに違いないアパレル職時代も、許されるものではないと思っているようだ。
それを感じ始めた頃、とうとう私は交流を持っていた上級生から告白をされる。
きっと、彼氏ができたことは菅野さんには言わない方がいい。