みんな何かに縛られている
「言ってくれる人がいるなんて、うらやましいと思っちゃった」
実家にいて厄介なことは、
「誰とどこ行くの」「なんで」「いつ帰るの」「どうだった」
そういまだに聞かれること。
そう答えたとき、友人にぼそりと言われた。
その子いわく、あまり干渉し合わない家庭。
けっして放置されているわけじゃない。
心配はされるし、サポートもしてくれる。
ただ、「親だから言いたくなるであろうこと」
をあまり言われたことがないらしい。
たとえば仕事を辞めたときは、
「どうして辞めたの」「これからどうするの」
ではなく、「ああ、そうだったんだね。じゃあしばらくここにいなよ」
どこか出かけるときは、
「ああ、出かけるの。気をつけてね~」
否定も批判もしない。
ただただ肯定するだけ。
この場合、
「心配だから」と声をかける親が大半なのかもしれない。
あれやこれや言いたくなるのが親心というものなのかもしれない。
「なにか言ってほしかった?」
「・・・うーん、どうだろ。わかんないや。
でも、そんなメンドクサイこと言ってくれる人って
親くらいかなって」
干渉してこない親というのは
ある時は楽なのかもしれないし、
またある時は、自分のことを本当に愛してくれているのか
不安にさせてしまうみたいだ。
ただ、もしかしたら、友人の親だって
信頼関係が築かれているから安心して任せているのもしれない。
親のこころ、子知らずだ。
誰にもわからない。
共通して言えることは、
親も子供も、少なからず双方に甘えているんだろうな。
ということ。
「親なのに、こんなこともしてくれないの」とか
「親として、自分の子どもにこれくらい言うのは当たり前じゃないの」とか
暗黙の了解として、人間関係上には
そういう期待がお互いにある気がするよね。
たぶんみんな縛られている。
役割というものに。
「母親だから」とか。
妻、娘、女性、アラサーとかいろんなものに。
やっぱり大事なのは、
ぜんぜん違う人間同士なんですってことを
忘れないことだよなあ。
そして、立場をとっぱらって
一個の人間として相手を見ること。
うーん、難しい。
みなさん、おつかれさまです。
最後まで読んで頂きありがとうございました!