見出し画像

『あなたの「音」、回収します』 第9話 歌の花にカノンを乗せて(2)

「話ってのは、もちろんカノンのことなんだけどな」

 バンドのおっさんのひとり・ルシオにペルー料理をご馳走になったあと、ルシオが切り出した。

 ペルー料理は、日本ではあまりピンと来ないかもしれないが、実は「世界で最も美食を楽しめる国」「世界をリードする食のディスティネーション」と世界的に評されている。
 アヒ・デ・ガジーナ(鶏肉のイエローペッパー煮込み)、アンティクーチョ(牛の心臓の串焼き)、セビーチェ(魚介のマリネ)など、出汁だしと香辛料をきかせた色鮮やかな料理の数々に、卓渡たくとはすっかり上機嫌だ。回収業にも、たまにはいいことがあるものだ。

「二週間前、演奏を聴いてくれたカノンが突然バンドに飛び込んできて、一緒にやりたいと言い出した。もちろん、俺らの音楽を愛してくれる仲間が増えるのは歓迎だが……実のところ、俺たちも少し困ってる」

 となりのテーブルで、他のバンドメンバーたちも飲み食いしながらうなずいている。

「ひとつ。音楽に国境がなくても、人間には国境がある。若い娘がなんの所縁ゆかりもない外国人の男たちの中に入り浸ってるんじゃ、心配しない親御さんはいないだろう。
 ふたつ。カノンは、高校のオーケストラ部に入っていたそうなんだが、そっちで何かあって活動できなくなったらしい。あの子はもともとフルート奏者で、かなり才能がある。本来なら、今は音大受験なりプロを目指すなり、フルートの道に真剣に向き合っていたはずだ。俺らとの出逢いは、そのさまたげになっているかもしれない」

 卓渡は、いくらか微笑ましい気持ちでルシオを見た。このルシオおっさん、本気であのJKの心配をしている。いいおっさんだ。

「カノンにも色々事情があるみたいだから、ひとまず気の済むようにサンポーニャを吹かせてやって、それ以外はあまり踏み込まないように気をつけていた。でも、そろそろ潮時かもな。そんな頃合いに、ちょうどあんたが卵の回収に現れたわけだが……。この先のカノンのこと、どう考えてるのか聞かせてくれないか」

「ルシオさん、なんだか保護者みたいですねぇ」

「俺の見立てじゃ、あんたは音楽がわかる人だと思ってな。カノンの音楽は、この先どうなるんだ?」

 そのとき、店の扉が開いた。

「あ、あ、あのっ……」

 無言でバンドを見つめていた、おさげの少女がそこに立っていた。

 * * *

歌希かのんさんが部活に来れなくなったの、わ、わたしのせいなんですっ……!」

 テーブルに案内され、卓渡とルシオに向き合った少女は、相澤あいざわ琴名ことなと名乗った。歌希と同じ、オーケストラ部の部員だ。

 琴名によると、歌希はひとり実力が傑出しすぎていたため、他の部員たちとの実力差・温度差が原因で思うようにフルートが吹けなくなったという。部活あるあるだ。

「わ、わたしが余計なこと言ったから。合奏なんだから、もっとみんなに合わせなきゃいけないって、言っちゃったから。歌希さんは、ちゃんとみんなの演奏を引き上げるような演奏してくれてたのに。みんな、気持ちがついていけなくなって……。本当は、みんながもっと頑張らなきゃいけなかったのに……」

「なるほど。それで、彼女を心配してバンドの演奏を聴きに来てたんですね。話してくれて、ありがとうございます」

 頭を下げながら、卓渡は抜かりなく琴名の卵をチェックした。
 あるじと同じ、おさげと眼鏡、だと……!?

「みんなが心を一つにして、音を合わせる。部活としての理想はそうなんでしょうけど、私は、必ずしもそうでなければならないとは思いませんよ」

 歌希やルシオの卵といい、この界隈かいわいでは卵のメイクアップやコスプレが流行ってるのか。黒玉ちゃんにも何か考えんと。

「人はそれぞれ違う。実力だけでなく、解釈や感動ポイントもバラバラなのが自然なんです。合奏は、最低限合わせなきゃいけない部分の確認と、みんなの個性がぶつかってもいい音が完成することを目指す作業です。そう考えると、ちょっとした会社みたいですよね」

「あは、そうですね」

 琴名の表情が和らいだ。卵を気にしながら話す、卓渡の気の抜けっぷりがほどよく緊張を緩めてくれたのだろう。

「わたしも、バンドの演奏を聴いて、そう思いました。みなさん、それぞれ個性強くて、とがった音も出してるのに、すっごく調和してて、レベル高くって。何より、好きだから音楽をやってるっていうのが伝わってきました。歌希さんも、本当に楽しそうで……」

 琴名は、姿勢を正し、改めて卓渡に向き直った。

「歌希さんにとって、卵はかけがえのない相談相手なんです。フルートが上達したのは卵のおかげだって、いつも言ってました。サンポーニャも、きっとそうだと思います。でも、回収しちゃうんですか……?」

 眼鏡のレンズ越しに卓渡をのぞき込む、おさげJKの曇りなき瞳。
 こ、これは、真のハニトラってやつでは……!?

「え、えーとね。そのこと、なんですけど――」

 * * *

 二日後。同じ駅前広場で、ルシオたちのバンドが再び演奏を始めた。

 曲目は『コンドルは飛んで行く』。『花祭り』と並ぶ、フォルクローレのスタンダード・ナンバーだ。

 アンデスの伝承曲をもとに作られたこの曲は、サイモン&ガーファンクルのカヴァーにより世界的なヒット曲となった。今でも様々なグループにカヴァー・アレンジされて親しまれている。

 ギターの少し切ない響きの伴奏に乗せて、ケーナが、次いでサンポーニャが主旋律を奏でる。サンポーニャを奏するは、帽子チューヨで半分顔を隠した、赤いショールの小柄な少女。

 いつしか、ケーナの音が消えた。
 ケーナに代わり、新たな楽器が演奏に加わった。
 ケーナやサンポーニャと同じ、管楽器。多くの人間にとってなじみ深い、澄んだ縦笛の調べ。ソプラノ・リコーダーだ。

 サンポーニャを吹きながら、歌希の目元がほころんだ。
 歌希と同じように赤いショールに身を包んだおさげの少女が、リコーダーで高らかに『コンドルは飛んで行く』を奏でている。

 少しずつ音色の違う、二つの調べ。仲良く並ぶ二人の少女の姿は、演奏とともに観客たちの心を楽しませてくれたのだった。

 * * *

「びっくりしたよー。まさか琴名んが乱入してくるなんてさー」

 演奏後、歌希が頬をショールのように真っ赤にしながら大笑いした。

「歌希ちゃんがあんまり楽しそうだったから、つい混ざっちゃった。えへ」

 琴名もいたずらっ子のように舌を出す。

「歌希ちゃん、やっぱり凄いね。新しい楽器をマスターして、こんなにお客さんの近くで堂々とレベル高い演奏ができて。わたし、緊張で心臓バクバクだったよー」

「琴名んのリコーダー、きれいだったよー」

「ほんとはわたしも、アルパ(南米式ハープ)をやってみようかなって思ったの。でも、普段やってるクラシック・ハープとは音も演奏法も全然違うから、両方はやめた方がいいってルシオさんに言われちゃった」

 琴名は帽子チューヨを脱ぎ、歌希に向かって頭を下げた。

「歌希ちゃん、ごめんなさい。わたし、部活でろくなこと言えなくて。みんなも反省してる。どうか、またオケ部に戻ってください。フルートもやめないでください。お願いします」

「私からもお願いします。歌希さんにその気持ちがあるならですが」

「わ!!」

 卓渡の姿を見て、歌希が飛びあがった。

「ルシオさん嘘つき! 『もう大丈夫』って言ったじゃん!」

「こらこらどこへ行く。『卵の回収はないからもう大丈夫』って意味で言ったんだよ」

 再度逃げ出そうとした歌希の襟首を、ルシオが猫のようにつかんで引き止めた。猫のようにフーフー言っている少女に向かって、卓渡はにこやかにお辞儀をした。

「私はあなたの大切な相棒バディを取り上げるような真似は致しません。その代わりと言ってはなんですが――」

 * * *

「うっそー、夢みたーい!」

 一週間後。
 制服姿の二人の少女が卓渡に連れられて来訪したのは、天才少年ピアニスト・川波かわなみ音葉おとはの邸宅だった。

「超有名美少年ピアニスト・音きゅんのおうちにお邪魔できるなんてー!」

「音きゅん?」

「リアル音きゅんも超絶美少年~! マジヤバ!」

 そうか、音葉さんって美少年だったのか。
 自分も一度でいいから少女たちにきゃーきゃー言われてみたいものだ、と切なく心に刻む卓渡であった。

 この邸宅に、動く機械人形オートマタの姿はもう見当たらない。
 音葉自身が新たな卵を希望することもない。今の音葉は、卵がなくとも自分の手で道を切り拓き、自分の足で着実にピアニストとしての道を歩んでいる。
 一時ネット上でおとしめられた「川波音葉」の名は、今では一転し、ひたむきな若い才能として多くの視聴者に共感と感動をもたらしている。

「ここ、コンサートルームやスタジオ代わりにたまに貸し出してるので。遠慮なく使ってください」

 弱冠十二歳でありながら、山を越えた人間は強い。祖父が作ったピアノの前で、音葉は穏やかに年上の少女たちを招き入れた。

 今回の、回収人としての卓渡の指定曲は二曲。演奏者も二人を指定した。
 すでに、音葉のつてでクラシック・ハープが運び込まれている。

「き、緊張する~!」

「楽しく演奏してくれればいいんですよ。ミスは気にしないでください」

「部活の合い間によく一緒に演ってた曲だしさ。楽しんで弾こう、琴名ん」

♬フェリックス・メンデルスゾーン作曲
 歌曲『6つの歌』より作品34の2
 『歌の翼に』

 琴名のハープが、穏やかな川のような流れを紡ぐ。
 歌希のフルートが歌う。優しく、聴く者の心を鎮めるように。

 恋人を桃源郷へと誘う歌。ガンジス川の彼方に、愛と希望を乗せて。

 フルートが奏する美しい旋律は、一度歌を終え、ハープの流れに曲を任せる。
 短い間奏の間に、歌希はフルートをサンポーニャに持ち替えた。

 ガンジス川の調べのような、アンデスの澄んだ空気のような。
 異なる異国情緒を感じさせる音色。そのどちらにも、少女の息遣いが、「命の音」が宿っていた。

 演奏前、歌希はこう語った。演奏の相棒である琴名と、人生の相棒である卵に向かって。

「色々あって、フルートを二週間以上休んじゃったけどさ。あたしは無駄な時間を過ごしたなんてちっとも思ってない。フルートも、サンポーニャも、これからも両方続けていくよ。クラシックとフォルクローレ、どっちもあたしにとっては大事な音楽だから。サンポーニャと出逢わなければ、今のあたしのフルートは生まれなかった。どんな出逢いも、新しい音楽になって、新しいあたしたちだけの曲になって生まれてくるんだよ。やっぱ凄いよね、音楽って」

 人生の様々な出逢いが、音楽へと昇華されていく。
 その奏者にしか出せない音が、いくつも重なって、この場所だけのひとつの合奏曲を形作る。
 その音がまた、他の誰かに新たな音との出逢いをもたらすのだ。

「お二人とも、ありがとう。お二人らしい、素晴らしい歌でした」

 拍手を送りながら、卓渡自身もまた、この場の音楽を生み出す集団オーケストラの一員であることを誇りに思う。

「二曲目は……やっぱり、これでしょう!」

♬ヨハン・パッヘルベル作曲
 『3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調』
 (通称『パッヘルベルのカノン』)

 カノンとは、複数の声部が、同じ旋律を異なる時点からそれぞれ開始して演奏する様式の曲。
 わかりやすく言えば、旋律の「おいかけっこ」と「かけあい」だ。

 ハープが、フルートが、おなじみのメロディを生み出す。交互に、あるいは同時に。時に歌い合い、時に伴奏として支え合いながら。

 途中、静かにピアノの音が加わった。
 音葉のピアノが、曲に厚みを持たせる。歌希の表情が、目に見えてにこやかになった。

 さらに、タイミングを見て新たな音が加わった。
 チャランゴが、ギターが、ケーナが。楽器を演奏しながら、次々にルームへ入場してくる。

 最後には、国際色豊かな、ここにしかない賑やかな『カノン』ができあがった。それぞれが、今できる限りのパフォーマンスで、ひとつの曲に様々ないろどりを添えていく。

 観客席に座る卵たちも、一緒になって楽しく踊っているようだ。

 この出逢いが生み出した、新しい音楽。
 ホールいっぱいに響き渡る「命の音」を、卓渡も、黒玉ちゃんも、心行くまで堪能たんのうするのだった。


↓<続き>


いいなと思ったら応援しよう!