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『空飛ぶたまごと異世界ピアノオルガン♬アンサンブル』 第34話 世界を越えて心を贈ろう
「俺、やっぱりあっちに行きたい」
朝食の席で、いづ兄がおもむろに切り出した。
「工房でオルガン造る仕事がしたいんだ。こっちじゃできねえ仕事だから、またあっちで誰かに憑依することになるけど」
「今度は誰に憑依するんだ」
音兄が、トーストにソーセージを乗せながら訊く。
いづ兄は自分の将来を決めようとしているのだと、すぐに察した。つまりこれは、川波家の重要な家族会議。わたしも心して聞かないと。
そっか……。いづ兄、やっぱりオルガン工房の仕事に進みたいんだ。
「それがさ。ありがたいことに、進んで身体を提供してくれるって人が何人かいてさ。前、寝たきりだったけど俺が憑依して健康になって、今は工房で働いてるおっさんがいるだろ。あの人の病院仲間の間で、俺が憑依すると健康になれるって噂が広まってて」
「まだ実例が一つしかない不確かな噂だ。健康になるどころか、お前の過失で他人の身体を損傷するリスクさえあるわけだが」
音兄が、手元のソーセージと食パンを睨んでいる。厳しい家長モードだ。間違ったことは言っていないので、いづ兄がグッと言葉に詰まる。
「でもまあ、いいんじゃないか?」
「へ?」
「お前ももう大人だ。責任の取り方も含めて、自分の道は自分で決めるべきだ」
「いいのか? 兄貴……」
「俺はお前の意思を尊重するよ」
音兄がにっこりと笑っている。いづ兄の全身から緊張が抜けていく。音兄、いづ兄にこんなに優しかったっけ?
「俺の稼ぎで、俺と理音の生活費と学費、この家の管理費や固定資産税は何とかなる。お前の身体はその辺のクーラーボックスにでも突っ込んどくから、後は好きにやればいい。保冷剤と防腐剤くらいは入れといてやるよ」
あ、やっぱり。テーブルに黒いものが漂い始めた。
「えーっ! いや、俺ちゃんとこっちに帰ってくるから! 管理してよ俺の身体! 関川さんは病院に入れといてくれたじゃん!」
「関川さんにはきちんと費用をお返しした。その無駄にデカい図体を維持するのに、どれだけ金がかかると思ってるんだ」
厳しい現実が、いづ兄を打ちのめす。
「あっち」でどんなに充実した仕事に就こうと、どんなにお金を稼ごうと、「こっち」ではまごうことなき無職・無収入になってしまうのだ。
「クッソォーッ!!」
悲しき遠吠えを残して家を飛び出したいづ兄は、その日のうちに肉体労働系のバイトを複数決めてきた。
「見てろー! 自分の食い扶持ぐらいあっという間に稼いでやる! 俺の進む道に誰にも文句は言わせねーッ!」
いづ兄のたまご、「ぴょん玉ちゃん」が、いづ兄のポケットから「やれやれ」と言わんばかりに顔(?)を覗かせている。
それからのいづ兄は、こっちのバイトとあっちの工房仕事の行ったり来たりを繰り返す、超多忙な異世界ジャンプの日々を送ることになった。
相変わらず、たまにどこかの組織に狙われたりぶっ飛ばしたりもしてるようだけど。極力人に迷惑をかけないよう、「ステルスたまご」持ちのピエロさんをうまく使いながら行動しているようだ。
音兄の厳しめの態度が、いづ兄のポテンシャルを引き上げ、さらに頼りになる大人の男へと成長させてくれているのかも。さすが家長。
いづ兄も、そんな音兄を内心では認めているのだろう。オルガンだけでなく、いずれはピアノ修理の勉強もしたいと考えているらしい。
音兄が大切にしている、九台の祖父のピアノ。弾く人と、メンテナンスする人。家族みんなで大切にできるなら、こんなに嬉しいことはない。
何だかんだで、みんな家族想いで、みんな仲良しなのだ。
* * *
いづ兄が化粧台の脚にキャスターを付けてくれたので、わたしでも楽々運べるようになりました。わーい。
これで、いつでもわたしの部屋でレヴィンさんとゆっくり過ごせるようになりました。えへっ。
時にはキッチンのそばまで運んで、一緒にお料理したり。ダイニングでみんなと一緒にお食事会や飲み会をしたり。
リーネルトさんもたまに来る。みんなが一つの家族になったみたいで、とっても楽しい。
ある日、食事中にちょっと席を立って戻ってきたら、レヴィンさんと音兄が戦っていた。
「だから違うって! 理音はそこまでおとなしくないから! もっとはっちゃけないと!」
『オトハはリネさんのすべてを知ってるわけじゃないだろ!』
「あ、理音! ちょうどよかった。理音ターンとリネシャコ、どっちがより理音にふさわしいか議論してんだけど」
「あのー。人の名前を勝手に奇怪な単語にして連呼しないでもらえます……?」
話を聞いてみると、いつもの「音楽性の違い」というやつだった。
『理音ターン』とは、以前音兄が作曲して聴かせてくれた『理音の夜想曲』のことで。
『リネシャコ』とは、レヴィンさんが作曲して協演のアンコールに聴かせてくれた、あの曲のことらしい。音兄が勝手に『リネのシャコンヌ』と名付けてしまったのだ。音兄、レヴィンさんの神聖な曲に何してくれとんねん。
「理音はどう思う? 『リネシャコ』もいい曲には違いないけど、どっちがより理音にふさわしいかっていえば、やっぱり」
「どーでもいい。知らん」
「よしレヴィン、表へ出ろ! じゃなかった、楽器の前へ出ろ! 俺が『リネシャコ』、レヴィンが『理音ターン』を弾く。そんで互いに問題点を洗い出す。勝負だ!」
『望むところだ!』
いったいなんの勝負なのか。どうしてこう、男の人ってすぐに負けず嫌いを発動しちゃうんだろう。
しかも何の前置きもなく、二人同時に弾き始めたので音が混ざってメチャクチャだ。
付き合いきれないので、ほっといてキッチンへコーヒーを淹れに行った。
一杯コーヒーをいただいてからリビングのピアノの所へ戻ると、なんと音兄が、鏡越しにレヴィンさんとハイタッチしてる!
「あーっ、音兄ずるいーっ! わたしだってまだレヴィンさんとしたことないのにーっ!」
「ふはは、うかうかしてるとレヴィンの『初めて』は全部俺がもらっちゃうよー?」
なんでも、二人であーだこーだ言いながらグチャグチャ弾いてるうちに、会心のコラボ曲が出来上がってしまったらしい。
「これぞ俺たちの『理音シャコターン』! 理音の温玉に録画してもらったから、後でSNSに上げてもいい?」
「却下じゃーッ!!」
後で録画を見てみると、確かにとっても素敵な曲に仕上がっていた。この二人からハイタッチが飛び出ただけのことはある。
でも、タイトルが。『理音シャコターン』って何。変な改造車か、小学生が考える雑魚モンスターの名前みたいだ。
彼氏と兄の仲が良すぎるのも、ちょっと考えものである。
* * *
レヴィンさんの生活に、大きな変化があった。
レヴィンさん、車を買ったんだって!
『以前は注文から十四年は待たないと車を手に入れられなかったんだよ! 信じられる? 外車だけど、すぐに買えたんだ! 奮発したよ! これでリネさんを色んな所へ連れて行ってあげられる!』
レヴィンさん、ほんとに嬉しそう。
正直に言ってしまうと、わたしは男性が車を持ってるかどうかは、自分の世界でもあまり気にしない。でもレヴィンさんが嬉しいなら、わたしも嬉しい。
『今まで、鏡を割ったり傷つけたりするのが怖くてなかなか一緒に出かけられなかったからね。これからは、ほら、ここがリネさんの席。仕事へ行く時も帰る時も一緒だよ。休みの日は、景色の綺麗な所へドライブしよう』
はたから見れば、助手席に鏡とクッションを置いてベルトで固定してる、変な人であることは否めない。それに、タイミングによっては絶対音兄が顔を出すだろうし……ダメダメ、そんなこと考えちゃ。レヴィンさんのうきうき気分に水を差しちゃいけないのだ。
それからは、言葉通り、車で色んな場所へ連れていってくれた。
タイミングが合えば通勤中のレヴィンさんとお話できるし、レヴィンさんがお休みの日には色々な場所へとドライブの計画を立ててくれる。わたしもサンドイッチなどを用意して、自宅にいながらピクニック気分を味わった。
わたしたちは、たくさんの話をした。
とても大事な、わたしたちのこれからのことも。
『きみにどうしても想いを伝えたかったんだけど、まさか僕と同じ気持ちを持ってくれているとは思わなかったんだ』
レヴィンさんの言葉で、告白の日を思い出す。
レヴィンさんの愛が込もった優しさは、あの日も今も、ずっと変わらない。
『僕は無力だ。リネさんを守ることも、未来を約束してあげることもできない。もしもリネさんと同じ世界に、リネさんを幸せにしてくれる人が現れたら、僕のことは気にせずにその人を選んでほしい。リネさんが幸せになってくれることが、僕には一番大切なことなんだ』
レヴィンさんらしい優しい言葉。わたしには想定内だ。
だからわたしも、同じように言葉を返す。
「じゃあ、わたしからも。もしもレヴィンさんの世界に、レヴィンさんを理解して支えてくれる人がいたら、助手席にはその人を乗せてあげてください」
『えっ、それは有り得ないよ。リネさん以外の人なんて考えられない』
「わたしも同じですよ。レヴィンさんが同じ世界にいれば良かったって思うことは何度もありますけど、同じ世界の違う人だなんて、わたしにはとても考えられません。わたしはレヴィンさんを好きになったことを後悔したことは一度もありませんから」
今日もいつものように、あなたが照れながら笑う。
『僕たちには言葉がある。触れ合えない代わりに、僕の気持ちを言葉に込めて毎日きみに贈るよ。きみの気持ちもたくさん聞かせてほしい。離れていても、僕の心は必ずきみのそばにいる』
恥ずかしくてなかなか言えないようなセリフを、真っ赤になりながら一生懸命伝えてくれるあなたが可愛い。
突然、レヴィンさんがこらえきれずに笑い出した。わたしも釣られて一緒に笑う。恥ずかしくて笑い出したいのを、ずっと我慢してたのにー!
「もー、カッコ良く決めたと思ったのに何ですか! わたしまで笑いが止まらなくなっちゃったじゃないですかー!」
『ごめんごめん。急に思ったんだよ。きみの世界に、きみを間違いなく幸せにしてくれる男性がいるな、って。
オトハだよ。彼よりもきみを幸せにできる人がいるだろうか。彼は絶対、きみを不幸になんかしない。誰よりもきみのことを考えてくれている』
わたしはまた笑い出してしまう。
「それを言ったら、リーネルトさんですよ! 彼よりもレヴィンさんを理解して支えてくれる人がいるでしょうか?」
『いないねえ。彼は僕にとって大切な財産だよ』
わたしたちは、しばらく声を上げて笑い合った。
お互いに、相手が世界で独りぼっちじゃないということが、相手のそばに大切な人がいてくれるということが、わたしたちの心をぽかぽかと温めてくれていた。
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