『あなたの「音」、回収します』 第15話 海を越える桜の音(3)
♬沢井忠夫 作曲
『二つの変奏曲』より『さくらさくら』
羽流衣が、箏に向き合って座る。
着物の桔梗色が、桐の木目の色に馴染んでいく。
それだけで、しぃん……と、「静寂の音」がした。
手を伸ばす。
両手の細い指先が弦に触れる。
瞬間、世界が広がった。
屋敷だった場所の壁という壁が取り払われ、全員を包む空気が、いっせいに青い空へと同化する。
広大な空間の隅々にまで、澄んだ響きを届ける、十三本の弦の振動。
なじみ深い『さくらさくら』のメロディが、繰り返し何度も現れては変化する。枝葉を伸ばし、次々に花を咲かせていく桜のように。
羽流衣のしなやかな指先が、繊細な音も、力強い音も、休みなく自在に生み出していく。
箏に詳しくはない卓渡の目にも、数多の奏法が、まるでオーケストラのように多彩な音色を繰り出している様が伝わってきた。
弦をすくう。こする。爪をかける。
弦を強く押す。弱く押す。
放す。突く。揺らす。引っ張る。
流す(グリッサンド)。同音を反復させる(トレモロ)。指で短く弾く(ピッツィカート)。
右手は装着した爪・爪の裏側・爪をつけない指先を素速く使い分け、左手は弦を押したり引っ張ったりして音色を操ったかと思えば、右手と同じように弦を弾いて主旋律も伴奏もこなす。さらに、弦と同数ある箏柱をスライドさせ、音の高さを変えていく。
一体いくつの奏法、いくつの音色があるのか。
それらを、こともなげに巧みに制御した先に、鮮やかに花開く桜が、日本の歴史と伝統が、「曲の心」として舞台に展開されるのだ。
両手でどんな超絶技巧を繰り出そうとも、羽流衣の姿勢はブレることなく、穏やかな微笑みも変わらない。
そこにあるのは、聴く者が気後れするような敷居の高さでも、伝統継承者としてのプライドでもない。ただ美しくあろうとする心の姿勢と、音楽への愛情だ。
この『変奏曲 さくらさくら』は、古典箏曲の流れを汲みながらもクラシックや現代邦楽の技巧も取り入れ、古典音楽になじみのない人にも聴きやすい、ダイナミックで華麗な曲に仕上げられている。
残念ながら今回は時間がないが、いつか自分のオーケストラに箏の音を取り入れてみたい、と願う卓渡だった。
桜が満開に咲き乱れるような、華やかなるグリッサンドの連続を経て。静かに、ビブラートで余韻を残した音が溶けていく。
演奏が終わった。
わかっているのに、余韻に体ごと吸い込まれたように、しばらく動けなかった。
「……素晴らしい、『命の音楽』でした」
言ってから気づく。
そういえばこれは回収業務じゃなかった。黒玉ちゃんは録音してくれただろうけど。
「ひとつ提案があるのですが。里琴さんのアイリッシュ・ハープと、一度音を合わせてみませんか? 音道さんの箏の多彩な音色なら、どんな楽器にも違和感なく合わせられると思いますよ」
* * *
「箏はまだ自信ないけど、ハープなら……」
里琴は勇気を持って姑との合奏に同意し、卓渡もついでに「回収」をさせてもらうことになった。
当日、音道家。
音合わせを始める前に、嫁と姑、二人同時に「「実は――」」と切り出した。
「な、なんでしょう」
「私は後で大丈夫です。里琴さん、お先にどうぞ」
「あ、ありがとうございます。それではお先に。実は私、お義母様に聴いていただきたい曲があるのです。豊海さんにも協力してもらって。お義母様の後ですと霞んでしまいますので、お先に演奏させていただいてもよろしいでしょうか」
「まあ、それは楽しみです。実は、私も里琴さんにお聴かせしたい曲があるのですよ。それでは、順番に用意した曲を演奏しましょうか」
「はい! ありがとうございます!」
楽しみが増えた。二人の二重奏だけでなく、それぞれの演奏(ついでにスティールおっさん演奏)も聴けることになった。
姑に対して臆病になっていた里琴が、わざわざ準備した曲とは、どんな曲なのだろうか。
椅子に座った里琴の前に、一台のアイリッシュ・ハープ。ブラウンのメイプル材の木目が美しい。
その横に、スティールおっさんこと音道豊海のためのスティールパン――では、ない。
音道の膝の上に、まるで中華鍋の蓋のような、金属製の丸い物体が乗っている。
卓渡が面白そうに目を細める。
「また珍しい楽器を持ってきましたね。ハンドパン、ですか」
「スティールパンは、この曲にはちょっと強すぎて合わねえんだよ」
ハンドパン。発祥はスイス。スティールパンを発展させた楽器と言われている。
スティールパンと同じく、打面の凹みごとに違う高さの音が出る。名前の通り、マレットではなく両手を使って叩く。
息を吸い、里琴がアイリッシュ・ハープを奏で始めた。
明らかに、普段演奏するアイルランド音楽とは全く違う調だ。
上部に弦の数だけ並ぶレバーを操作し、演奏しながら音の高さを何度も変える。いわば、箏の柱《じ》にあたる装置がこのレバーだ。
♬宮城道雄 作曲
『春の海』
お正月などによく流れている名曲。
原曲は、箏と尺八の二重奏だ。
アイリッシュ・ハープが箏のパートをなぞる。箏と全く同じ「色」を出すことはできないが、代わりにハープならではの「色」と響きで、今この場だけの『春の海』が奏でられていく。
アイリッシュ・ハープは、大型のグランド・ハープよりもはっきりとしたシャープな音を持ち、「民族楽器」の特徴を備えている。日本の歌にも合いやすい音だ。
そこに、尺八の代わりにハンドパンの音が乗る。
スティールパンと同じ、金属製打楽器ならではの豊かな倍音が、空間いっぱいを満たす。
癒し効果があるという、自然界にも存在する揺らぎ。金属による揺らぎの倍音は、日本人なら南部鉄器の風鈴や、仏壇で鳴らす「おりん」の音がイメージしやすいだろう。
アイリッシュ・ハープとハンドパンによる『春の海』は、いまだかつて聴いたことがない新鮮な響きで共鳴し合いながら、心に沁み入る「日本の海」の情景を映し出している。
繰り返す波。海を渡る風が、海岸を埋める花を撫で、海上に花びらを舞わせる。
時にくるくると遊んだかと思えば、時に荒ぶる波を渡っていく。穏やかな海を照らす、暖かな陽の光――。
二つの楽器が、ぴたりと寄り添い、戯れながら描き出す情景が、どれも美しい。
夫婦の共演を、羽流衣は眩しそうに、嬉しそうに笑みを浮かべながら見つめていた。
* * *
「私と豊海さんの楽器で、日本音楽を表現できないか、と思いまして……。伝統を崩すようなことをして、申し訳ございま……」
「なぜ謝るのですか」
演奏が終わったとたん、また萎縮してしまった里琴に、羽流衣ははっきりと澄んだ声で答えた。
「素晴らしい演奏でした。全く新しい『春の海』を、あなたたちの手で聴かせてもらえてとても嬉しいです。この曲は、箏と尺八の代表的な曲ではありますが、今まで様々な楽器で奏されてきました。ヴァイオリンによる演奏が有名ですね」
言いながらしなやかに立ち上がり、羽流衣は箏の調弦を始めた。トテチテシャン、と風流な和の音が、金属製の倍音に代わり、部屋の空間を満たしていく。
「霞んでしまうのは、私の方ですね。里琴さんが日本音楽を奏でてくれたように、私もアイルランドの民謡を奏でます。お聴きくださいませ」
♬アイルランド民謡
『ロンドンデリーの歌』
(The Londonderry Air)
古くから繰り返し演奏され、様々な歌詞がつけられてきたメロディは、日本人にとってもなじみ深いものだ。
もちろん、アイリッシュ・ハープでも何度も演奏されてきた、アイルランドのスタンダード・ナンバーのひとつだ。
巧みに音質を調整し、ハープに近い音で、箏がアイルランド民謡を歌う。羽流衣の細やかな指先が、素朴ながらも心癒されるひとときを作り上げた。
里琴も卓渡も、息子の豊海も、ただうっとりと、心地よい音の波に体を委ねて聴き惚れている。
曲が終わり、惜しみない拍手を送った後、今度は里琴と羽流衣の共演だ。
二人は横に並び、息を合わせ、アイコンタクトで演奏を始めた。
♬日本唱歌/アイルランド民謡
『春の日の花と輝く/Believe me, if all those endearing young charms』
アイルランドに古くから伝わる民謡が、海を越え、日本でも長い年月をかけて親しまれてきた。唱歌として、音楽の教科書でもおなじみだ。
まさに、二つの国の音楽を結びつけたと言っていい曲だろう。
二つの楽器、二人の人間の心も、流れる時の中でこうして出逢い、結びつけられた。
新たな絆が生まれ、また新たな人の輪が音楽と共に広がっていく。
桜の花が、海を越えて音楽を運んでいく。
日本の音楽が他の国の音楽と出逢い、新たな音楽となって、また海の向こうへと渡っていく。
音楽は、世界を結ぶ橋だ。
卓渡の未来も、音楽と共に、海の向こうを見据えている。黒玉ちゃんと歩む道が、海の向こうで新たな出逢いを迎えるのは、そう遠い話ではないはずだ。
部屋中にあふれる音と、花が咲くような笑顔。
改めて新しい家族を迎えた音道家には、いつまでも活気あふれる音楽が流れ続けていた。
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