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『空飛ぶたまごと異世界ピアノオルガン♬アンサンブル』 第33話 音葉のわくわくワークショップ(2)
コンサートルームには、既にステージと客席が設置されている。
ステージ中央に、音兄と羽奈ちゃんが演奏する指揮ピアノ。
周りに、全員が音兄が見える位置に座れるように、ピアノ四台が少しずつ角度を変えて囲むように設置されている。
音道さんとチュー玉ちゃんによる入念な調律で五台全てのピッチを合わせ、ピアノ同士の共振で余計な雑音が入らないよう何度もチェックを済ませてある。
ワークショップの話を聞いた時、「わたしだけのせんせぇなのに〜!」と頬を膨らませていた羽奈ちゃんは、音兄と連弾ができると聞いて、すぐに機嫌を直した。
彼女は音兄の右側で、二番目に易しい譜面を前に置いて、にこにこと演奏開始の時を待っている。
他の皆さんも同様だ。まだ少しの緊張は残るものの、ここへ来た時とは比べものにならないくらい柔らかな表情になっている。みんな、自分たちの練習の成果を知るのが楽しみで仕方ないのだ。
音兄が、皆さんを見回しながら「はじめの言葉」を述べた。
「初めに言っときますね。ミスを怖がらないでください。演奏にミスは付きものです。間違えたら、次頑張ればいっかー、でいいんです。ピアニストの大御所だって大舞台でミスすることあります。今度ピアニストの動画見てみてください。あ、僕の動画はあまりミスないと思います。編集でうまくごまかしてますので」
皆さん、こらえきれずに大笑いだ。
笑いが落ち着いたところで、音兄は席に着いた。
温玉ちゃんによる、録音・録画準備もバッチリだ。
「最初は一・二・三・ハイって言いますので、ハイの次に入ってくださいねー」
いよいよだ。わたしと里琴さんは、誰かが譜面を見失うなど困った時のために、壁際にそっと立つ。
いづ兄と音道さん、見学の方たちは、参加者さんたちを威圧しないように、客席の後ろの方に座っている。
音兄の声が、ひときわ高く響いた。
「一・二・三・ハイ!」
* * *
♬『川波音葉の練習曲第一番』
全員が同時に入る。
初めはフォルテッシモの連打。五台二十手が叩き出す大音量に、会場にビリビリと震えが走る。客席の人たちはもちろん、演奏者たち自身があまりの大迫力に驚いている。
連打の中、各パートが順番に新たな動きに入った。
易しいパートがゆったりと美しい主題を奏で、難しいパートが舞い散る花のように細かい動きで鍵盤を駆け抜ける。
イメージはズバリ、「花嵐」だと音兄が言っていた。
パートとパートの動きが絡み合う。
前に出たかと思えば他のパートを支える側に回り、目まぐるしく役割が交代していく。何度も同じパターンを繰り返すパートは一つもない。
一台だけではわからなかった曲の完成形が、五台揃った今、初めて明らかとなる。
「こんな曲だったのかー!」
「私のピアノ、いい仕事してるじゃん!」
後で、参加者さんたちから聞いた感想だ。
音兄も、宣言通り大きく目立つ演奏はしていないが、指揮役として着実に曲を支え、この会場をより大きな世界へと広げていく。
その横で、羽奈ちゃんが嬉しそうに元気いっぱい鍵盤を叩いている。なんて楽しそうに弾くんだろう。
自分の手で、美しい曲を奏でる。
他の人と音を合わせ、曲の可能性を高めていく。
様々なレベルの人たちに接することで、新たな気づきを得る。
これが、このプログラムで音兄が狙ったことだ。
音兄いわく、プロでも初心者から常に新たなことを学べるのだという。
上ばかり見ながら競争に明け暮れる日々の音大生さんも、他の参加者さんたちからいい刺激をもらえたんじゃないだろうか。
全員で、高らかに歌い上げるクライマックス。
激しい連打と即興的なフレーズが何度も華麗に交差し、主題のボルテージを押し上げていく。
まさに、嵐に舞い乱れる桜の花弁のように。
感動的な大盛り上がりを見せながら、最後の一音を激しく叩きつけ、曲が終わった。
演奏時間、ゆっくりめで約三分。
譜めくりの必要もない短い曲だけど、たくさんのポイントが詰まった中身の濃い曲だった。
音兄が、立ち上がって拍手を始めた。客席の皆さんも、釣られて一緒に拍手。
「凄い! 素晴らしい! 初合わせで、止まらずに最後まで行けました! 皆さん、めちゃくちゃ才能ありますよ!」
もちろん、全員がノーミスというわけではない。
途中で手が止まってしまった人もいたけど、わたしがさりげなく譜面の該当箇所を指差すと、すぐに演奏に戻ることができた。
皆さんの顔を見ればわかる。
どれほど達成感を感じたか。どれほど新鮮な驚きに満ちて、どれほど楽しい体験だったのか。
「もう一度、少しテンポ上げてやりましょう! 今度はさらにいい演奏になる気がします!」
途端、全員の意識がビシッとピアノに集中した。
二度目は声の合図はなしで、音兄の無言の動きに全員が意識を合わせ、息を合わせる。
タイミングはピッタリだ。
さっきよりもスピードが上がったのに、今度は見失うこともなく全員がちゃんとついていってる。
初心者や普通の小学生がいるとは思えないくらい、どこに出しても恥ずかしくない演奏だった。
やったよ、ミラマリアさん!
初めてのワークショップ、第一のプログラムは大成功だよ!
一番達成感を覚えているのは、他でもない音兄自身だったに違いない。
* * *
全体で二時間予定のワークショップのうち、約一時間二十分がこのプログラムに費やされた。
「十人によるオールピアノ・アンサンブル」は、わたしたちに大きな収穫をもたらしてくれた。
軽く休憩を入れた後、今度は皆さんに音兄の演奏を聴いてもらう。
「至近距離でプロの演奏を聴く」。このために来たという参加者さんは多い。
「触ったり視界塞いだりしなければ、どこで聴いてくれてもいいですよー」と本人が言うので、みんなでワイワイキャアキャア言いながら音兄をぐるっと取り囲む。遠慮なく真横や真後ろに立つ。
物理的にも心理的にも、皆さんと音兄との距離がグッと近くなったのを感じる。
音兄は姿勢を正し、コンサート・ピアニストの顔に戻って演奏を始めた。
♬セルゲイ・セルゲーエヴィチ・プロコフィエフ作曲
『トッカータ ニ短調 作品11』
始めは規則的な同音連打。両手が速いテンポで小気味よくリズミカルに動く。
一見単純そうに思えた曲は、展開が始まるとすぐに複雑怪奇な曲へと変貌する。
スピードを維持したまま、両手が何度も交差し、跳躍し、重なってはまた跳躍。十本の指が、まるで難解な知恵の輪のように激しく絡み合う。すぐそばで見ているのに、もうどの指がどの音を出しているのかもわからないほどだ。
誰もが知ってる有名曲は後で聴いていただくとして、音兄がこの曲を選んだのは、一般の人が自然に耳にする曲ではないからだ。
ピアノに詳しい人たちには、コンサートやコンクールで演奏される難曲として知られている。
せっかくなので、一曲はピアニストらしい曲を聴いていただこう、というわけだ。
流麗なるグリッサンドと強打で、華々しく曲が終わる。
約四分の演奏。いつもの無表情で最後まで弾ききった音兄は、立ち上がるとまたワークショップ仕様の笑顔に戻った。会場に、満面の笑顔と歓声と拍手があふれる。
「ピアノは、ピアノだけでももちろん素晴らしい楽器ですが、他の楽器と合わせることでさらに幅広い表現を生み出すことができます。そこにいる調律のおじさんとお手伝いのおねえさんとで、皆さんがご存知の曲を一曲演奏します。次に、また別の楽器ともアンサンブルをやりますので、合わせる楽器によってピアノがどんな風に変化するのか、ぜひじっくりと聴いてみてください」
ステージに、スティールパンとアイリッシュ・ハープが運び込まれた。
音道さんと里琴さんとの、ピアノ三重奏だ。
♬『グリーンスリーブス』(イングランド民謡)
数えきれないほどのアレンジを生み出してきた、言わずと知れた有名曲。
哀愁を帯びた美しいメロディが流れる。スティールパンの可愛らしい響きに、アイリッシュ・ハープがしっとりと音を重ねていく。
音兄のピアノは、どこまでも静かに、さりげなく。一音一音が、澄みきった響きと共に空気に昇っては溶けていく。
さっきの曲とは違い、技巧がなくてもこんなに美しい曲が演奏できるのだと、みんなに語りかけているようだ。
少しずつ違う展開を見せながら繰り返すメロディが、音兄のピアノでジャズ風に締めくくられた。
約二分半の演奏。いつもながら、この三人の演奏は素晴らしい。心癒される音楽だ。
次は、他の楽器とのアンサンブル。いよいよだ……!
* * *
「次も、皆さんご存知の有名な曲です。普通に演奏すると一〇分を越えますが、今日は五分程度にアレンジしたショートバージョンを演奏します」
音兄が話している間に、いづ兄が布をかけた化粧台をピアノのそばに移動させる。あくまでも、さりげなく。目立たないように。
「ピアノ協奏曲、たくさんありますよね。ピアノとオーケストラを合わせるとどれだけ良い音楽になるのか、みんな知っているんです。できれば皆さんにも生でお聴きかせしたいんですが、この部屋にオーケストラ全員を呼ぶのはちょっと大変なので、僕の知り合い一人にオーケストラ全員分の演奏をしてもらうことにしました」
皆さんの頭の中には「??」が浮かんでいることだろう。
いづ兄が化粧台に向かってこそっと何か話しても、温玉ちゃんがコツッと小さく鏡面を叩いても、特に気にする人はいない。
「演奏するのはピアノ協奏曲ではなく交響曲ですが、二つの楽器が生み出すハーモニーを十分に楽しめると思います。それでは、気を楽にしてお聴きください」
いづ兄が客席へ戻り、音兄がピアノ椅子に腰を下ろす。
心臓がドキドキと暴れ始めた。
また、あの音楽が聴けるんだ!
♬アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク作曲
『交響曲第9番 ホ短調 作品95, B. 178』(通称『新世界より』)第四楽章
始めはピアノだけ。
蒸気機関車の発車に例えられるオープニングが、ゆっくり始まったかと思うと、一気に加速しダイナミックに盛り上がっていく。
主題の開始と同時に、「もう一つの楽器」が音を現した!
会場の空気が変わる。音の色彩を瞬時に染め上げる。世界全ての色さえも変えてしまう。
「楽器の王様」、堂々の降臨だ。
オーケストラによる交響曲。この場の支配者はオルガンだ。ピアノはあくまで伴奏のように付き従う。まるで王に傅く臣下のように。
この世界にはないパイプオルガンと、ピアノとのアンサンブル。この美しさ、気高さがわかるのは、今この場にいる人たちだけだ。
何色もの音を操るオルガンが、全ての人間の鼓膜を覆い、脳に新たなイメージを映し出す。
小鳥のような高音も、地を這うような低音も。木管も金管も弦楽器も。全てがたった一人の両手両足から繰り出されていく。ピアノとの連携もピッタリだ。
意識の全てへと響く大音量。天上から世界を見下ろし、世界を包み込む約四千本の神の笛。
クラシックきっての大人気曲、『新世界より』の最終楽章は、聴く者全ての予想を裏切り圧倒し続けながら、あっという間にフィナーレを迎えた。
わーん、まだまだずっと聴いていたいよー!
完全に呆気にとられてしまった皆さんの前で、席を立った音兄は。
「今ピアノと一緒に演奏したのは、開発中のエレクトーンみたいな楽器の録音です。詳細は企業秘密なんです、すみません。なかなか素敵な音だったでしょう?」
しれっと笑顔で言う。
音兄、演奏家ならではの役者ぶりだ。
ちなみに録音ではなく、鏡の向こうではちゃんとレヴィンさんとリーネルトさんが待機してくれていた。忙しそうだから録音でもいいって言ったんだけど、ぜひ生演奏させてくれ、って頼まれちゃったのだ。
わたしが大好きな、二人のアンサンブル。
次に聴けるのはいつかなー?
* * *
その後は、また音兄の独奏だ。
いよいよお別れの時間です、ということで、ショパンの『別れの曲』を。
宣言通りアンコールとして、ショパンの『黒鍵のエチュード』を。
大きな拍手と笑顔に包まれながら、無事にワークショップが終了した。
音兄は、顔を覚えられないほど大勢の人に囲まれるよりも、少人数で和気藹々と音を交わす方が性に合っているんだろうね。
わたしが驚くほど、今日は音兄の笑顔がたくさん見られた日だったよ。
いづ兄たちが片付けをしてくれている頃。リビングのカーペットの上には、屍が一つ転がっていた。
「つ〜か〜れ〜た〜。もう、笑うの無理〜。笑わせるのも無理〜。理音〜、肩揉んで〜。手と足と腰も揉んで〜。ハグして〜」
皆さん、これが我が家の黒鍵王子です。
あーあ、自分でやりたくてやったことなのに。いきなり長時間慣れないことをやっちゃうから。
でもまあ、ほんとに頑張ったもんね。
軽いマッサージくらいはしてあげようかな?
* * *
数日のうちに、全参加者さんたちからとても丁寧な感想のメッセージをいただいた。
初心者だったおじさまは、早速お孫さんの電子ピアノで練習曲を披露し、「じぃじ、素敵! カッコいい!」と大モテだったそうだ。
「私の演奏じゃなくて、曲がカッコいいんですけどね」と書かれたメッセージは、何だかとても嬉しそうだった。照れ笑いしていたおじさまの顔を思い出す。
また、音兄がSNSに譜面をアップロードした『川波音葉の練習曲第一番』(通称『花嵐』)は、参加者以外もダウンロードOK・動画OKにしたため、たくさんのピアノ演奏者さんたちに弾いてもらえるようになった。
どのパートも独奏できるほどカッコいい上、複数パートの組み合わせによって違う魅力が生まれるため、様々な組み合わせを試してくれる動画がどんどんアップされた。
もちろんわたしも、全パート暗譜できるくらい、たくさん弾いてみた。
早くミラマリアさんにも聴かせてあげたいなあ。
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