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ファンタシースターオンラインシリーズにおける「レア掘り」の誤った解釈を正したい

# 何の話ですか?

SEGA、ソニックチームが2000年にドリームキャスト用ゲームソフトとして発売した『ファンタシースターオンライン』(以下、PSO)を経験したプレイヤーは後継作において「PSOはレア掘りゲーだったのに…」という昔語りをしがち。

しかし、後継作であるPSU、PSO2以降でもレアアイテムらしく実装されたものはたくさんあり、「でも〇〇だったら今の仕様だと荒れるだろ」「俺は今でもレア掘りを感じられるからこのままでいい」といった水掛け論が定期的に発生しては、「レア掘りの定義って難しいな(ハハハ)」という大団円で閉幕を迎えるのがテンプレとなりつつある。

ユーザー間で何年も続けられているこの議論において、長年感じている「そこじゃねえよ」という苛立ちをこの場を借りて形にし、PSOで皆が”レア掘り”と称しているものの正体が何かを解き明かす。

# お前らの”レア掘り”は間違っている

煽り調にしてみただけで別に間違ってはいないのだが。PSOにおける”レア掘り”が「他人(※開発)が決めたレアアイテムを手に入れるまで頑張って粘るプレイ」という意味で用いられているのだとすれば、それは間違っている。

PSOにおいては、「レアアイテム」と呼べるものには3つの種類がある。

1つは「入手確率が低いもの」。

1つは「入手の機会が限られるもの」。

1つは「ありふれたものだが、珍しい付加価値がついているもの」。

これらはどれをピックアップしても「レア掘り」という定義が崩れることはない。ドロップ率が低いものを延々と掘るのも、特定のイベントや回数制限ありのボスから入手できるアイテムを確実に集めていくのも、特殊効果やカラーバリエーションが異なる汎用品をひたすらに集め続けるのも「レア掘り」に該当する。

じゃあPSU以降の作品にはそれがないのか?というと、PSU以降の作品においては、1つ目の「入手確率が低いもの」はむしろ豊富に用意してある。そんなにレア掘りがしたいって言うならロドスサージュだろうがアンジャクゥーリだろうがユヒテインだろうがマーリーベルガだろうがキュイプロウだろうがジェットウォッシャーだろうが、誰も持ってない誰も知らないようなアイテムを求めてクエストに籠ればいい。手に入ればあなただけのユニークな神器がお目見えだ。実際、お目当てのアイテムのために2ヵ月~3ヵ月籠ろうが、クエストトリガーを使ってボスを100体、200体狩ろうがかすりもしない。どれだけ頑張っても手に入らないなんて、レアもいいとこだ。

だったら経験者たちが語る「PSOのレア掘りゲーを返してほしい」という訴えは一体何だというのか?

実は多くのPSU、PSO2プレイヤーが昔語りで訴える「かつてのレア掘り」とは、3つ目の「珍しい付加価値」が大きく関与しており、そこに楽しみが集約されているのだ。PSOでは入手した武器に敵のカテゴリに沿った倍率値がランダムで付与されたり、入手した防具に防御力アップの補正や他のアイテムを組み合わせるためのパーツスロットがランダムで付与されたりするのだが、それの吟味が始まるのはなんとゲームスタート直後。最初の森ステージで狼やモグラのような敵キャラクターを倒し、初めて手に入れたコモン武器に「原生生物への威力+15%、マシンへの威力+5%」といった付加価値が付き、これは一体なんだ?と不思議に思ったプレイヤーがそういった武器や防具を集めはじめる。気が付けば「もっとすごいコモン武器を!」とトンチンカンな言葉でレアリティとは無関係な独自の定義による「レア掘り」をスタートさせて黙々と楽しんでしまう。

実はPSOにおける「レア掘り」とは、レアリティの高いアイテムを入手する行為ではないのだ。ありふれたアイテムの中から何度も繰り返される吟味、厳選よって導き出された理想の恋人、時に晴天の霹靂のように訪れ、時に執念と努力によって勝ち取った運命的な出会いこそがPSOの「レア掘り」が与えてきた体験なのである。後にハック&スラッシュ(ハクスラ)に分類されるこの手のゲームシステムで成功しているタイトルの多くはこの「俺にとっての宝物」を求められるようになっている。

小学生の頃に虫取りの経験がある方は、クワガタやカブトムシを探して山に出入りしていた頃を思い返してほしい。小学生が手に入れられるクワガタやカブトムシの種類なんて、たかが知れている。でも、「俺のカブトムシはちょっとだけ角が長いぞ!」とか「俺のクワガタなんてちょっとだけアゴが欠けているぞ!」とか、ありふれた中での付加価値を”オリジナリティ”と捉えて優劣や特異性を競っていたはずだ。遊びにおいて求めていた「レア」の本質とは、ありふれた中に見出されるオリジナリティ、それによって培われるアイデンティティなのだ。

歴戦のPSOプレイヤー達に「あなたが手に入れた一番のレアアイテムって何ですか?」と尋ねると、時にこういう答えが返ってくる。

「Dark100%のバーニング パラッシュかな」

そこに”武器のレアリティ”というパラメータの概念はもはや無い。

# 無個性の中の個性というレアリティ

PSOにおいてはコモン武器、レア武器問わず「種族ごとの特効倍率がランダムで付与」「特殊攻撃で発動する能力が変化」といった付加価値の軸が用意されている。これは昨今のオンラインゲームにおいては「エンチャント」や「オプション」などといった用語で呼ばれ、ユーザーが任意に選択できたり、アイテム強化コンテンツで提供されていたりするものとなっている。

PSOはこの付加価値の部分をユーザーに選ばせないことによって、ありふれたコモン武器や、比較的多く手に入るレア武器などに対して多彩な個性が出るようにした。それによりユーザーは「今日拾ったアイテムの中で面白いものはあるかな?」と選別を行う時間を楽しみの1つとできるようになった。

巷の人々が思い描くような、世界中で2~3人が手に入るかどうかという伝説の宝剣を長い旅路の末に手に入れるようなゲームデザインではない。それでもPSOは「レア堀り」という遊びコンテンツに対して世界中のプレイヤーから支持を集めた。その根底となっていたものは「みんなが知っているアレを、俺だけのものという刻印付きで手に入れた」という、ある種レアとは矛盾した考え方の成功体験だ。

オンラインゲームに参加し、有象無象の一人としてレクチャーを受け、大量に配布される支給品のような剣と鎧を手にした時点では、まるで東京で生活しはじめた社会人一年生のような無個性の塊だ。そんな生き方で始まったゲームプレイの中で、突如まばゆい光を放つ個性に出会い、それを自身のアイデンティティとする体験を、PSOは自然と産み出してきた。そこにはゲームマスターが押し付けてくる「レアリティ」というパラメータや、レアであることを品評する仲間とのグループトークなんぞは必要ない。他人の承認を経ずとも、オリジナリティ溢れる”相棒”たちは突如、旅人の前に現れる。多くのPSOプレイヤーにとって、レア掘りとは「オリジナリティの追求」を意味していた。

PSOではユニークなレアアイテムになればなるほど、ドロップ率は低く設定され、付加価値の幅で楽しめることが少なくなっていく。全世界で10本しかドロップしなかった伝説の武器があるとすれば、その中で特別な威力補正があるものはまず現れない。PSOに実装された、”ただ出にくいだけのレアアイテム”たちは、楽しみを提供する存在からは程遠く、”妥協”の二文字を突き付けてくる心の悪魔だ。

人によってはレアアイテムのうちの1つ「ヤスミノコフ9000M」に憧れ、威力補正が少しだけであっても手に入れるだけで満足だった。しかし、人によってはヤスミノコフ9000Mにさらなるオリジナリティを求め、高い威力補正が出るまで”レア掘り”を続けた。人によっては「誰も手に入れたことがないらしい」と評判が立つほどの『封印ノダチ』を真っ先に手に入れることこそがオリジナリティとアイデンティティを満たすための”レア掘り”となり、そして各々が「俺にとっての宝物」を互いに認め合った。私は欲しかったレアアイテムの獲得を当時交流のあったフレンドに先を越されて、悔しさをバネに数ヵ月籠ってプレイし続けてもドロップせず涙を飲んだこともあったが、その”恋焦がれた宝物を追い求めた日々”のプレイ記録、歴史すらも私のオリジナリティだ。

「レア掘りがなくなった」と嘆く諸君。君達が求めている”レア掘り”とは、あふれかえる無個性の中に身を置きながら個性を獲得し、誰にも負けないアイデンティティを確立するそのサクセスストーリーのことを指している。

そしてその体験は、PSU、PSO2には無い。今後も生まれない。

# PSU、PSO2が失った"レア掘り"

PSOでは前述のように「俺にとっての宝物」を手に入れるために同じアイテムを求めることはそう珍しくなかった。今の宝物を超えるような新たな出会いに遭遇したとき、今までの宝物は捨てるには忍びなく、友人へ譲り渡して更なる思い出、更なる付加価値を高めていくその交流がPSOでの日常であった。

そういった、多くのプレイヤーが楽しみ尽くした"レア掘り"とそれに伴う交流を、果たしてPSUやPSO2は持っていなかったのだろうか?それが、持っていなかったのである。

PSU以降、「敵カテゴリに応じた特効倍率」「ランダムで付与される特殊攻撃」「パラメータの個体差」といった、付加価値に関する要素はすべて撤廃された。

代わりに「自然属性(炎氷雷土光闇)」という安易な要素が追加され、手に入れた武器、防具については「一体何色か?属性値がいくらか?」ぐらいの違いしか感じられず、またユーザーは「炎の名を冠した武器が手に入ったが氷属性」「前作で紫色だったレア武器を闇属性にしたが敵に有効でない」といった、イメージにそぐわない設定に苦悩する羽目となった。また、運悪く自然属性が付与されなかった場合は緑色の武器カラー、防具カラーになるため、緑色は空気感も相まって「風属性」と揶揄する文化すらあった。(※)

(※)PSUでストーリー上の聖剣をテーマにした最強の武器として羨望を集め、PSO2で復刻された「ワールドオブガーディアン」が緑色のビームソードになっているのは単に無属性のモデルが緑色だったからであって、ストーリーを踏まえた深い設定があるわけではない。

さらに、PSUから導入されたユーザーショップ(マイショップ)の機能がその多彩でない武器の凡庸化に拍車をかけてしまった。やっとの思いで手に入れたレア武器の炎50%は、友人がゲーム内通貨で他人から買ったそれと寸分違わなかったのである。金策のためにブルース・ダンジョンに籠りながら全員で色とりどりのムグンブルガを構え走り抜ける日々の中、「このゲーム(PSU)には武器、防具の唯一性やファッション性なんてものはない」と悟って目のハイライトが消えるまで、そう時間はかからなかった。

それらの勘違いを山ほど積み重ねて、満を持して登場したPSO2においては、PSUの悪癖を引き継いだまま、「アイテムラボ」という粗悪なコンテンツが現れてしまった。アイテムを消費して手持ちの武器防具に「攻撃力が30アップ」「特定の種族に対してダメージアップ」「この武器だけの特殊な効果が発動」といった付加価値を付与できるコンテンツなのだが、それがもたらしたものは「理不尽な成功率による失敗、リセットにどれだけ耐えられるか」「効率的な化学式をどれだけ導き出せるか」という過酷な修行であり、”攻略できない人はカス扱い、攻略できる人はみんな同じ武器の同じ性能で横一線”という中学受験も真っ青の学力統一システムだったのである。

かつての人々が楽しみとしていた「無個性の中の個性」を勝ち取る機会は取り上げられ、システムにより「望まない自然の加護」に苛まれ、ユーザーショップとアイテムラボにより「理想を具現化するための機械」に落とし込まれ、ユーザーとクリエイターの質は共々地に落ちていった。多くのユーザーは「レアリティ」と「ドロップ率」というワードを一縷の望みとして、「自分たちがやっているのは間違いなく、低いドロップ率のアイテムを求める”レア掘り”というやつなんだッ…!レアドロ、こいこい…!」という自己暗示をかけ、何かしらの喪失感を覚えながらもそれが正しい行為であると錯覚しながらモチベーションをなんとか保っていたのがPSO2における現実である。

上記だけでもユーザーの頬がげっそりと痩せこけるほどの地獄なのであるが、それに輪をかけて運営は「取引不可」というさらなるタブーに手を出した。多くの付加価値の撤廃とマイショップによって失われた「俺にとっての宝物」を取り戻させる手段として、自力での入手を強制するというお達しを出したのだ。

取引不可のシステムは、これまで培ってきた友人関係やゲームプレイの意義、やり甲斐といったPSOの根幹に関わるところに対してひっそりと、しかし確実に陰りを落としていった。「余ったレアアイテムを友人が欲しがっているが、取引不可のために捨てるしかない」「チーム内の誰もが持っていないアイテムを自慢してやりたいが、交渉の余地すらないので相手にされない(=自慢する相手にとっては未実装アイテムも同じ)」「取引不可のアイテムを俺だけの宝物だと信じて手に入れたが、そもそも個体差がないために全員が同じものを手に入れてしまうと独自性が感じられない」「全員が少しずつ獲得できるメダルをひたすら集めて交換するだけの名ばかりの”レア武器”が取引不可だが何を誇ればいいのかわからない」などといったネガティブな体験が積み重なり、今日の「俺の考えるレア掘りはこれじゃない!」という訴えに繋がっている。

PSUで起こした失敗をすべて引き継いで、PSO2はそれを上塗りするような形で失敗し続けた。それでも「僕の導き出した解に、間違いはない!!」と強気な姿勢を続けるPSO2NGSの運営に、もう人望はない。

# これからのレア掘りはどうあるべきか

良いものかどうかを判断するのに、言葉はいらない。間違っているものは間違っているのだ。間違っているものは何の言葉もなしに人々の活気を奪い、式典に集まった人々に席を立たせ、かつて高い支持を誇っていた政権であっても荒廃させる。

PSO2NGSでは、PSUから引き継いだ「自然属性」という最大の癌を取り除くチャンスを棒に振った。それどころか「自然属性」と全く同じ轍を踏む「プリセット」という選択肢の少ない付加価値の要素を設け、そのうえでユーザーショップとアイテムラボを継続し、PSO2と全く同じ落胆をユーザーに与え続けている。これらのシステムがある限り、PSO2NGSは一生かけても「レア掘りゲー」に戻ることはなく、またそれゆえゲームシステムが住民に支持されることはない。手に入れたものの個体差がないばかりか、装備が全ユーザーで統一されているNGSでは、「合格品か、そうでないか」というデジタルな符号しか存在しないからである。

ジオントアーマや属性付き武器のプリセットLv5にステⅢ、ソールⅢ、ギガスⅡ、ドミナをつけることが果たしてレア掘りと言えるのか?ほぼ全てのユーザーがNoと答え、これは合格品となるための作業だと実感しているだろう。NGSはもはや、戦闘システムごと作り替えなければ復旧が不可能な領域にまで腐りきっている。それをわかっているからこそ、ユーザーは離れ、開発チームは離散し、50代のオヤジにしか売れない古臭いエロ商品の集金体制だけが悪目立ちし、プロジェクトは破綻寸前まで追い込まれている。親作品と言えるPSOが打ち立ててきた功績を考えれば、大変に嘆かわしい。

NGSと比べてPSOが持つ圧倒的な強みは「理想を実現できない」ことだ。いつまでたってもレベルキャップは遠く、理想的な補正値を持ったお気に入りの武器、防具が揃うまでの道のりは険しい。友人から譲ってもらったユニークなアイテムがあっても、それを遥かに凌駕するユニークが生まれることがある。理想の追求に終わりはなく、ユーザーは日毎に現れる偶然の出会いに一喜一憂の楽しみを感じられる。

対してNGSはドロップするアイテムに個体差がなくアイテムラボで肉付けをしていくだけの攻略フローであるため、ユーザーショップで肉付けも何もないバニラな武器を買ってから、レアとされている強化素材を買い集めて時間と金をかけるだけでその時々の理想に切迫するか、理想そのものを実現することができる。それにより「もっとすごいものを…」という欲求が薄まる。俺だけの最強武器を手に入れたぞ!と威張っても、同じ攻略フローで世界中の複数人が同じ性能の最強武器を手に入れているため、もはやオリジナリティを感じられる可能性はない。何で優位性を感じようかと悩みあぐねた挙句、「お前そんな当然のことすらしてねーで緊急クエ参加してんの?」というマウント取り、初心者いじめ、仲間外れ、蹴落としあいに精を出すしかないという、ひどい有様だ。

これからのレア掘りの在り方は、NGSの癌を取り除きつつ小さな発見や偶然をちりばめ、「今日の宝物」から「俺にとっての宝物」までを取り戻せるかどうかにある。この記事をNGSのディレクター達が正気を保ちながら読み込めるとは到底思えないが、オンラインゲームってどうやったら楽しいのかなぁってぼんやりと考えているディレクターやプランナーは一考しておいてほしい。

2021/10/26:一部の言い回しと誤字を修正

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