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『賢治と「星」を見る』

天文学者と旅する宮沢賢治の星空
少年、宮沢賢治は夜空を見上げ、何を思ったのだろう?
見つめる星々の先には、何が見えたのだろう?
天文学者も舌を巻くその正確な天文知識は作品にどう映しだされたのか?
天文学の楽しさを一般の人びとにわかりやすく伝え続けてきた天文学者が、賢治が作品に描き出した天体に私たちを招待する。
この本は宮沢賢治の生涯を天体で物語るプラネタリウムだ。さあ、一緒に旅に出よう!

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そういえば、昔のアニメ版はなぜねこだったのだろう。
気になって検索してみたところ、こちらがヒット。記事を読みつつ「たしかに・・・」と深く頷く。


自分は文字の銀河鉄道をきちんと読んだことがあっただろうか。
改めて考えてみるも覚えがない。

昔からこういう読み物があまり得意じゃなかったから、
『カムパネルラ、じつはしんでた(但しご遺体はあがらず)』
と脳内にメモして終わりにしてた可能性が高い。
謎と犯人さえわかれば満足。その後は読むのがめんどくさくなり、結局読まずに終わるのである。
しかし私も大人になった。もうあの頃の自分ではない。
渡部先生が丁寧に引用してくださる原文ママの本文と一緒に『銀河鉄道の夜』を追体験。

「あなたのお父さんはもう帰ってゐますか。」博士は堅く時計を握ったまゝまたきゝました。
「いゝえ。」ジョバンニはかすかに頭をふりました。
「どうしたのかなあ、ぼくには一昨日大へん元気な便りがあったんだが。今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな。ジョバンニさん。あした放課后みなさんとうちへ遊びに来てくださいね。」

さう云ひながら博士はまた川下の銀河のいっぱいうつった方へじっと眼を送りました。

ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいでなんにも云へずに博士の前をはなれて早くお母さんに牛乳を持って行ってお父さんの帰ることを知らせやうと思ふともう一目散に河原を街の方へ走りました。

『銀河鉄道の夜』より

以上が『銀河鉄道の夜』からの引用。
そして以下は渡部先生の考察。

賢治は、カムパネルラとのことをその父に言えなかったジョバンニの後悔の念よりも、父が帰るという喜びや嬉しさのほうをわずかにながらよけいに行間に忍び込ませている。

『賢治と「星」を見る』より

カムパネルラ父の言葉をきっかけに、ジョバンニに己の父母のことを思い出させ、友を失った悲しみよりも自身の期待を優先させた終わり方にしたとも解釈できる、と渡部先生は書いておられる。
賢治にとって「父」という存在がそれだけ大きいものであったのだろう、と。
賢治先生の意図がどうであったのか。
賢治音痴の私には知る由もなく、ただ、ジョバンニの思考・行動に人間のナマミを感じただけだった。
たしか、映画『タイタニック』の沈没・漂流シーンでも同じこと思った記憶あり。

凍死して真っ白になっているジャックの手を外してバイバイし、笛を吹き鳴らしながら助けを求めにゆくローズの、あのタフなシーン。
鑑賞後、ローズに激怒する友人に「うんうんそーだねっ、アレはないよねっ」と同意しつつも、内心では「いやいやアレで正解やろ。でないと死んでまう」とヒロインに一票入れていたことを思い出す。
たしかにジャックの気持ちを思えば複雑だ。イッパツで恋が冷めそうなしうちではある。

が、しかし。
人間って、いや、動物ってそもそもこういうもんなのではなかろうか。まずこういった本来の動物的な性質があり(=生存への本能みたいなやつ)、そこへ更にプラスアルファで道徳をのっけにいこうとするのが人間だ。
だからものすご切羽詰まってる時に「ふたつは無理だったので、ひとつだけ選んでしまいました」という人を責めてはいかんように思う。
ジョバンニだってローズだって大切な人への気持ちが薄れたわけじゃない。
自分自身を優先しちゃう動物的な自然と、友人や恋人を悼む気持ちは同時に存在しててよし。
自分が何を選択したかをハッキリと意識することによってのみ、こういった類の罪悪感や後悔を「己の身に抱えられる程度のふくらみ」に抑えることができるのではないかと思う。


108/200 2024.5.1.

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