『賢治と「星」を見る』
そういえば、昔のアニメ版はなぜねこだったのだろう。
気になって検索してみたところ、こちらがヒット。記事を読みつつ「たしかに・・・」と深く頷く。
自分は文字の銀河鉄道をきちんと読んだことがあっただろうか。
改めて考えてみるも覚えがない。
昔からこういう読み物があまり得意じゃなかったから、
『カムパネルラ、じつはしんでた(但しご遺体はあがらず)』
と脳内にメモして終わりにしてた可能性が高い。
謎と犯人さえわかれば満足。その後は読むのがめんどくさくなり、結局読まずに終わるのである。
しかし私も大人になった。もうあの頃の自分ではない。
渡部先生が丁寧に引用してくださる原文ママの本文と一緒に『銀河鉄道の夜』を追体験。
以上が『銀河鉄道の夜』からの引用。
そして以下は渡部先生の考察。
カムパネルラ父の言葉をきっかけに、ジョバンニに己の父母のことを思い出させ、友を失った悲しみよりも自身の期待を優先させた終わり方にしたとも解釈できる、と渡部先生は書いておられる。
賢治にとって「父」という存在がそれだけ大きいものであったのだろう、と。
賢治先生の意図がどうであったのか。
賢治音痴の私には知る由もなく、ただ、ジョバンニの思考・行動に人間のナマミを感じただけだった。
たしか、映画『タイタニック』の沈没・漂流シーンでも同じこと思った記憶あり。
凍死して真っ白になっているジャックの手を外してバイバイし、笛を吹き鳴らしながら助けを求めにゆくローズの、あのタフなシーン。
鑑賞後、ローズに激怒する友人に「うんうんそーだねっ、アレはないよねっ」と同意しつつも、内心では「いやいやアレで正解やろ。でないと死んでまう」とヒロインに一票入れていたことを思い出す。
たしかにジャックの気持ちを思えば複雑だ。イッパツで恋が冷めそうなしうちではある。
が、しかし。
人間って、いや、動物ってそもそもこういうもんなのではなかろうか。まずこういった本来の動物的な性質があり(=生存への本能みたいなやつ)、そこへ更にプラスアルファで道徳をのっけにいこうとするのが人間だ。
だからものすご切羽詰まってる時に「ふたつは無理だったので、ひとつだけ選んでしまいました」という人を責めてはいかんように思う。
ジョバンニだってローズだって大切な人への気持ちが薄れたわけじゃない。
自分自身を優先しちゃう動物的な自然と、友人や恋人を悼む気持ちは同時に存在しててよし。
自分が何を選択したかをハッキリと意識することによってのみ、こういった類の罪悪感や後悔を「己の身に抱えられる程度のふくらみ」に抑えることができるのではないかと思う。
108/200 2024.5.1.