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③『心の概念』
1章 デカルトの神話
アンチデカルト。
2章 方法を知ることと内容を知ること
アンチ主知主義。
主知主義(読み)しゅちしゅぎ(英語表記)intellectualism
〘名〙
① 一般に知性を重んじる立場。主知説。
(イ) 認識論で、感覚主義や経験主義に対し、真理は理性によって得られると説く合理主義の立場。プラトン、アリストテレス、デカルト、カントの立場。
(以下略)
knowing how
どうやるかを知っている
knowing that
それが何かがわかる
「ある人が理知的であるか否かを表すために「鋭敏な」shrewed あるいは「間抜けな」silly 「慎重な」prudent 「軽率な」imprudent などという形容詞が用いられる。しかし、この場合、その人が何らかの真理を知っているということや知っていないということ(←たぶんknowing thatに該当)をわれわれは述べているわけではない。その記述は、その人にはある種の事柄を行う能力があるかないか(←たぶんknowing howに該当)ということを述べているのである」
つづり写し間違えてるかもしれません。見直さんけど。
主知主義への批判
おそらくライル先生は『真理は理性によって得られる』という主知主義の言い分が気に入らない。
もしもそう・・なのだとしたら、キミらが『理性』と呼んでいるモノが『理性である』ということはどーやって判断したんですかあ〜〜??みたいなことをおっしゃりたいのだと思う(・・・のだが、違ってたらゴメンなさい)。
我々は『真理とは何か』(knowing that)を知らずとも、howを使えちゃってる(knowing how)というのがライル先生のお考え(たぶん)。
thatありきのhowじゃない。我々は『howの中に』『thatを見出している』(たぶん)。
たとえばウィット(wit)。我々はウィットの論理的な正体(=真理)を知らずとも、『上質のウィットを披露する方法』や『あるウィットへの評価・良し悪しのジャッジをくだす方法』について知っている。
ライル先生はこういった「how と that の無限背進によって生じる矛盾」を主知主義への批判としていらっしゃるよーです。
how の前に that なし!というライル先生の主張。
人類の全員がモレなく「そう」かはわかりませんが、少なし、私の場合は確かに「そう」だった。howの前にthatがこない。
ためしにライル先生の言われるところの「公的で」「目に見える」「物的世界における事件」を並べてみましょう。
事柄1 心理学への興味薄傾向
事柄2 無宗教主義
事柄3 カウンセリングとソリが合わない
(※ 以前別記事のコメントで、とあるnoterさんとお話させていただいた時はこの理由を「金の問題」と書きましたが、実はもうひとつ、これより大きな理由がある)
事柄4 領域Bへの強いこだわり(『対毒親戦争を語る会』の1コマです)
>ポリシーを固める部分は自己内省の最終段階と言うか、言語化してみて、最終的に言い切る結論かと考えます。
同感! だけど感覚的にはちょい違うかもです。
A 父との間におきたことを自分なりに整理する
B 己の主義信条を固める
私の場合はA・Bの二本立てでやってきました。
AとBの違いは対象とする領域の違いでして、↑ の『最終的に言い切る結論』が『父との関係に関するまとめ』的なモノであるとすれば、私的に、それはA分類です。
Aは対父、Bは対世界。
Aの領域では父は当事者だけど、B・世界を対象としたひろーい領域においては、父なんて世界に吸収されちゃって砂ツブになる。世界の中の砂ツブという意味じゃ当事者と言えなくもないけど、感覚的にはもう顔すら見えない第三者です。
Aは通過点で、最終目標はあくまでもB。
私が当時やっきになって固めようとしてた主義信条ってのは、急ごしらえの基礎のみで、こちらは現在も建造中です。
たとえるならBは私のサグラダファミリア。死ぬまでに完成することなどないだろーけど、死ぬまで増改築繰り返して作り続けたいもの!です。
今、私が本を読んでるのもそのためです(^^)
なので『最終的な言い切り』に関しては、
Aのは終了。Bはまだ、かな?
事柄5 構造主義哲学への共感
ライル先生のことを調べる過程でヴィトゲンシュタイン先生にいきあたり、飲茶先生のご著書からエッセンスをチョロっと学ぶ。
できればそのうち、構造主義もかじってみたいな!とは思うものの、読みきる自信が全くない。だってやたらめったら難しいじゃないですか、こういう本って。庶民向けにもっと短くサクっと書いてあればいーのに、といつも思う。
***
事柄1~5は、公的・物的世界での現実の行動を伴っているので、おそらく全部how分類。
ズラっと並べてみてわかったことがある。
1 5つのhowを貫くthat(=傾向)がある。
2 しかしhowの発動時は、自分自身はthatに気づいていない。
3 必ずhowが先行で、thatが後。この逆パターンの事例はひとつたりともみつからない。
ほうほう。先生、たしかに。
・・・・ってトコまでが~2章の覚書。
さて、また続きを読んでゆきましょう。
できればまだリタイアしたくない。この先なるべく長くついてゆけますよーに!
80/200 2024.3.27.