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『Audible 今を生きる思想 エーリッヒ・フロム 孤独を恐れず自由に生きる』

先生のご両親も毒親だったんですね・・・。
もはや非毒家庭のほうが珍しいんじゃないかとすら思えてくる。


人間って非合理的。

たとえば憧れの女性が父親の後を追って自殺してしまった時の衝撃。
温和な教師が垣間見せる狂暴性。
毒親が撒き散らす理不尽。
そして戦争。

先生は思うわけです。「なぜこんなことをするのか」と。

人間の持つ不可思議で非合理的な側面を解明したい。
フロム先生という方は、この途方もなく難しそうなテーマにがっぷり四つで挑まれていたスゴイ学者さんなのですよ~、という解説からスタート。

フロムは不可解な個人の行動と戦争という社会現象のふたつを解明しようとし、フロイトとマルクスの理論に答えを見出した。
前者について言えば、過去や現在の表面的な行動を見るのではなく、過去の行動を生み出した力を理解しようとした。この力は意識されなかったり、意識的な思考と矛盾したりするが、これが変われば行動は変わりうる。
後者について言えば、戦争は誰かが欲するのではなく、過去に戦争をひきおこし今後もひきおこしそうな経済的、社会的、心理的な力がそこには働いている。この力を分析することでのみ過去を理解し未来を予言できるとフロムは考えた。

フロム流、世界の眺め方。
表象に惑わされるな、本質を見抜け!ということのようです。

どの章も凄く面白かったけれど、それはフロム先生だけでなく、岸見先生のお力によるところも大きいハズです。面白いって、わかりやすいって、やっぱりすごーくありがたいこと。
岸見先生の手腕によってフロム先生の美味しさがぎゅっと濃縮。コンパクトにまとめられたフロム入門って雰囲気の本でした(たぶん)。

プロの学者先生の本って難しいしボリュームも凄いしでなかなか手が出ないのですが、岸見先生のナイスパスにより「ちょっとだけ頑張ってみよーかな」という気になってくる。

たとえば『愛するということ』。

いまいち食指が動かなかったこちらのご著書。
しかし「愛は技術である」なんて言われちゃうとな~~。

「え、技術とは?? どーいう意味ですか、先生っ!」てなる。

ああ、気になるううう。
近々読んでみようかなって、前よりはだいぶ思ってる。
凄いなあ。スーパーの試食販売みたいな効果あり。・・・・ハッ、もしかしてこういうのもナッジ?


権威主義的倫理
この倫理は人間が善と悪を自身で知る能力を否定する。善悪の規範を与えるのは個人を超越した権威である。このシステムを支えるのは理性と知識ではなく、権威への畏怖とそれに従うものの弱さ、依存の感覚である。
(中略)
このような権威主義的倫理の特質は、子供の幼い判断や平均的な大人の無反省な価値判断のうちに見られる。その場合、善の根拠は自分の内にではなく外部にある。すなはち善とはそれを行えば褒められること。一方、悪とは社会的な権威あるいは多くの人のひんしゅくを買ったり罰せられたりすることである。そのため他者から認められないことを恐れ、認められることが倫理的判断のほとんど唯一の動機となる

こういう目に見えない分野(ハッキリした答えを出しようのない分野)においては、確定がムリな以上、結局のとこ、誰派か、誰推しか、ってコトにならざるをえんような気がするのです(※個人の意見です)。
私はあまり心理学の本を読まないので、そもそも知ってる先生の数がすごーく少ない。そんな私が言うのもナンですが、私はフロム先生の権威の考察を推してます。なぜなら、自分の個人的な経験にぴったりとあてはまるように思えるから。

うち、父が毒系なのですが(またこれか!すみません!)。
我々家族に対しては王のように振舞っていた父も、家庭から一歩外に出てしまえば借りてきたネコのように大人しくなる(所謂内弁慶)。父が威張れるのは家族の中でだけ。思えば、自分よりも大きな権威にはアッサリと玉座を明け渡しちゃう人だった。
親戚、職場、地域の輪とか。
父を取り巻く世界は階層構造を成していて、種々の外部世界と自分との距離を測りつつ、損がないよう己の立ち位置を正しく・・・見積り、弁える。この時に彼が測るものが何かといったら、おそらく『どっちが強いか(どっちが権威者か)』ってこと、ただそれだけ。弱いやつには威張り散らし、強いやつの前では縮こまって大人しくしとくわけです。よって一部の弱者を除いては(障害のある友人とか)、外ではけして怒鳴らない。虐待事件の加害親が「まさかあの人が!?」と周囲に驚かれるのと同じパターンと思います。

先生のおっしゃる通り、多かれ少なかれ、人間にはこういうトコがあるんだろうな。
もちろん私自身も例外ではありません。

久しぶりに読み返したくなりました。


94/200 2024.4.16.

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