油断せず、見きわめ、えり分けろ
告白すると、あまり詩を読みません。
嫌いじゃないんですが、怖いから。。。
いつも、心をえぐられるというか、無いかがいつも心に刺さって、なんだか居心地が悪くなるんです。
本当は大好きなんだけど、距離を取っているのが詩なんです。
でも、新聞を読んでいたら読んでしまった、詩を。
石垣りんさんの詩の一部が書かれていました。その背景はこんな感じ。
1952(昭和27)年8月5日、原爆被災者の写真を翌日の壁新聞に載せることになったので、そこに添える詩を書いた。この年の4月、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は独立を回復した。それまで原爆投下の報道はアメリカによって厳しく規制されていたが、初めて被爆者の写真を公表することが許されたのだ。いまこの場で書いてくれと言われ、りんは1時間ほどで書きあげた。
その詩の最後の方にこんな詩があるんだそうです。
しずかに耳を澄ませ
何かが近づいてきはしないか
見きわめなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前八時一五分は
毎朝やってくる
私の表現力はお許し頂きたいが、ずしーんっと滅茶苦茶重いパンチをみぞおちに喰らったような衝撃がありました。朝戦争真っ只中の1950年代でも衝撃があったでしょうが、現代においても物凄い衝撃力があります。。。
そしてこれを書いとき、石垣りんは32歳だったそうです。
記事にもあるように、追悼ではなく警句。先見の明というよりも、本質を突き刺すような言葉であるのが物凄い。
戦禍の記憶が過去に押しやられつつある中、被爆者の写真にりんが添えたのは、情緒的な追悼の言葉ではなく警告だった。
そしてこの詩はこう結ばれています。
一九四五年八月六日の朝
一瞬にして死んだ二五万人の人すべて
いま在る
あなたの如く 私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。
いま在る私のように、安らかに、美しく、油断していた。。。
本当に怖い言葉です、本当に。
原爆の被害にあった方は油断というか、もう不可抗力で、もう悲劇という言葉も軽すぎるくらいの状況だったと思います。
が、しかし現代に生きる私たちもまた油断しているとの言葉には、心底ぞっとしましたし、どこかでそれを分かっていて、それに気付かないふりをしている自分にもう一度向き合わされる言葉だと感じました。
静かに頷くしかできませんでした。
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