
「小説」セントラルパークランナーズ(70歳・男性)
いつの間にかNYに着て45年も経っていました。正直、いつ自分がこんなに歳を取っていたのかと思います。因みに、ランナー歴はもう37、8年でしょうか。その間、多くの新顔の日本人ランナーさんが、セントラルパークに現れ、そして、去っていきました。今、よくパークで会うランナーさんはここ数年前からの知り合い。つまり、還暦を超えた私しか知らないランナーさんばかりです。多くは私よりずっと年下で、走りも伸び盛り。そんな人達に混じって走っていると、ちょっと寂しいような、悔しいような気持ちと同時に、懐かしい記憶が蘇ることがあります。ああ、私もあんなんだったなぁ、と若い時の自分を思い出したりするわけです。
走ることに夢中で、レースに勝つことに真剣だった自分。54歳で遂にサブスリーを達成。今は、あんなスピードで走っていたなんて信じられません。あれは本当に自分だったんでしょうか?
ははは、そんな風に感じるってことは、私はやっぱりそれだけ歳を取ったので間違いないんでしょうね。それでも、不思議に思ってしまうのです。本当にそんな膨大な時間が過ぎていたのでしょうか、と。
今日はニューヨークロードランナーズ主催のレースがない週末。ひとり、のんびりとセントラルパークの6マイルループをジョグ。私もよくまぁ、飽きずに毎週毎週、同じ場所をグルグルと走るものです。
午前10時ですでに日差しが強くて、日陰のない場所を走っていると眩しさに目を細めてしまいます。また、うんざりする暑いNY到来です。
おや?背後でスタスタスタと軽快な足音が近づいてきます。ヒュンと音がしたように感じたと思ったら、あっという間に背中が小さくなっていきました。速い。後ろ姿のランニングフォームも非常に美しい。
誰でしょう?細身の黒髪、、男性?いや、女性?脚がスラリとしていますねぇ。きっとかなり速いランナーでしょう。日本人っぽい感じもしますが、最近、チャイニーズのランナーも増えたから日本人じゃないかもしれません。
おや?
またすごい勢いでこちらに戻ってきます。あ、やはり若いアジア人男性ようです。それにしてもいい走りですねぇ。え、ここで止まる?
「すみません、日本人の方ですか?」
「ええ、そうですよ。」
戸惑いつつ、私も止まって応えます。なんか事情がありそうです。それにしても、かなり若い。20代前半か半ばぐらいかな。息子より少し下に見えますね。
「あの、この辺にトイレってありますか?携帯でパーク内のトイレの位置をサーチしたんですが、どこにあるのか分からなくって。」
ああ、そう言うことですか。確かにここの公衆トイレの場所は分かりずらい。えっと、ここの場所から一番近いのは、、、
「この奥に進むとバスケットボールコートがあるので、そこが一番近いと思いますよ。」
左側の先を指差しながら教えてあげました。
「ありがとうございますっ。」
ペコペコとなんども頭を下げ、またすごい勢いで駆けていきました。呆気にとられながらも、やっぱり良い走りだと思ってしまう自分に苦笑しながらジョグ再開です。
「先ほどはすみません。でも、お陰で助かりました。」
あらあら、さっきの彼があっという間に追いついてきて、横に並び、話しかけてきました。態々、お礼を言うために追いかけてきたんでしょうか。
「僕、無数(かずなし)と言います。昨日、NYに引っ越してきたばかりで。」
なるほど、そうなるとセントラルパーク初心者ランナーさんですね。走りはセミプロ級ですが。私も自己紹介を兼ねて、パークやNYのあれこれを話し始めました。
ランナーは良いですね。走るという共通点だけで、話が出来ます。彼ともこれからレースやパークでたくさん会いそうです。
セントラルパーク西72丁目の出口付近が近づいてきました。ここはあの有名はストロベリーフィールドが近くある場所です。
「じゃぁ、僕はここから家に戻ります。もっと走りたいんですが、引っ越し作業の途中で抜け出してきたんで。」と、言われて気づきました。無数君とどうやら3、4マイルもチャットランしていたようです。
「折角の練習時間を邪魔しちゃいましたね。私の遅いペースじゃ、さっぱり練習にならなかったでしょう。」
少し申し訳なさそうに言うと、彼は非常に驚いた様子で、「え?練習って、なんのでしょう?」とびっくりした様な面持ちで聞いてきます。
「いや、練習って、そりゃレースでしょう。もう何かセントラルパークのレースに申し込まれましたか?無数君なら今までいたところでも色んなレースに出てられたんでしょう?あの走りっぷりを見ている限り、相当練習積んでいると感じましたよ。」
今の若い人と会話をする時は、1から10まで説明しないと理解されないことがありますが、ランニングに関しては年齢関係なく共通認識があると感じていたので、無数君の驚いたような反応は意外です。
「あの・・・レースに出ないと走っちゃいけないんでしょうか?」
しかし、彼からの質問返しに、今度は私の方がびっくりです。
「僕、ぶっちゃけ、レースとかさっぱり興味ないんですよ。学校でも会社でも競わされたり、点数つけられたりばかりじゃないですか。せめて、趣味の世界ぐらい自分の自由にしたいんですよね。だから、いつも好きな時に好きなペースで走っています。なんか誰かが決めたルールとかに縛られて走るとかってヤダなぁって漠然と思ってしまって。あ、すみません、その競技が好きな人をディスっているわけじゃないですよ。僕は勝手に、そーゆーのが苦手っていうか、そんな感じです。だから、一馬さん、また、セントラルパークで会ったら、テキトーに、一緒に走りましょう。では、また!」
あんぐりと口を開けた私を置いて、無数君はまた見惚れるフォームで去っていきました。
なんということでしょう。正直、今の若い子の考えは理解不能なことはありますが、今回は自分の根幹とも言えるランニングに関してだったこともあり、衝撃でした。ショックだったと言ってもいいかもしれません。どこかで、私のやってきたことが、それこそ、”ディス”られたと感じているのかもしれません。
しかし、走りながら、心を落ち着けて考えてみると、今の私、これからの私にはもってこいの考え方とも言えます。レースと関係なく、好きなように走れば良い。そういう意味ですよね。誰に勝った、負けたとか関係なく、花鳥風月を愛でながら、走れば良い。なるほどね、そうやって、走り続ければ、ストレスもなくて良いかもしれません。
「ヘイ!カズマ、ハウ アー ユー(元気か)?」
いきなり抜き様に声をかけられハッとして前を見ると、20年来のライバルのジョンが、チラッと後ろを振り返り、ニヤリと笑って加速していきました。ジョンとは50代からずっとレースで年代別1、2位を争ってきた仲です。今でこそ、お互い、どっちかが怪我をしたりで、レースでも中々一緒になりませんが、それでもパークで会えば意識せずにはおられません。そのジョンが、たった今、「何、チンタラ走ってんだよ。」と言わんばかりに、私を抜いていったのです。
くっそー!
先程までの穏やかな自分は何処へやら。非常に高いストレスを感じつつ、加速します。負けたくない。負けられない。心臓がバクバク波打ちますが、その熱さが苦しくもあり、気持ち良くもあります。それより何より、単純に面白い。競うことが面白く、楽しくってしょうがないのです。
どうやら、誰にどう諭されようと、私の性分は一生変わらないようです。
そして、そんな自分で良いのです。