「短編小説?」僕の不自由な生活
最近、頭の中が、ぼやっとすることが多い。
それなのに、寝ていると、たくさん夢を見る。その夢は、実際にあったことなのか、それとも、単なる夢なのか定かではない。
僕の名前はコーディ。人間が称するところでは、”犬”である。
生まれた場所は、テネシー。気が付いた時には、僕には、人間のママがいた。ママはとっても優しくって、僕が色んなイタズラをしても、「ダメ!」と怖い顔を作って叱るけど、心の中では、笑っていた。だけど、”噛む”行為だけは、「絶対、ダメ!」と、心の底から、僕に伝えていた。
だから、僕は、絶対、噛まない。ママと約束したからね。
そんなママがある日突然消えてしまった。
ママと僕が住むお家には、ママの親戚と呼ばれる人たちが、出たり入ったりして、その中の一人が、僕に言ったんだ。
「お前のママは死んだんだ。歳だったからな。」と。
そして、その人は僕を車に乗せて、どこか知らない公園に連れて行った。
ベンチの下にお水のボウルと、山盛りのご飯を置いて、その人は僕に言った。
「もうお前は自由だぞ。」と。
その人は立ち去り、僕は自由に山盛りのご飯を食べた。お水もごくごく飲んだ。自由にぐーぐー寝た。それを何回か繰り返したら、ボウルの中身は空っぽになり、僕は、お腹が空いて、喉が乾いて仕方なくなってしまった。
ベンチの下にいる僕を見つけた人間たちは、「わぁ、可愛い!」とか大騒ぎをして、自分たちが食べていたハンバーガーの切れ端とかをくれた。ママから教えてもらった、くるりと寝転んで回る芸をしたら、もっと、くれた。だから、僕は、頑張って、何度も何度もくるりんと回った。
ある時、ベンチの上で回ったら、ドスンと落ちてしまった。痛かったけど、パンが欲しかったから、すぐに立ち上がって、パンを貰った。
人間たちが立ち去った後、ベンチの下で丸まって寝たけど、翌日からうまく歩けなくなってしまった。
どれぐらいの時間が経ったのだろう。僕の身体の毛は抜け、目も何か出来物が出来て、良く見えなくなってしまった。何か食べ物をもらおうと、人間に近づいても、「うわっ、汚い。しっし」と追い払われるようになってしまった。だから、その人達が立ち去った後、ベンチの下の食べこぼしを探した。
ある日、僕はもう動けなくなってしまった。ああ、僕もママと一緒で、”死ぬ”のかなぁ、と思った。
「あ、何、この子、犬?」「うわっ、ほんとだ。汚いね。」「でも、かわいそうだよ。」「どうする?」「なんだっけ?保護するところってなかったっけ?」「パパに電話して聞いてみよう。」
気がつくと、3人の女の子たちが僕を囲んで見下ろしていた。
僕は、キルシェルターという場所に連れてこられた。
そこは、何日かの間に引き取り手がないと殺されてしまうから、”キル”シェルターと言うらしい。他の檻の犬たちは、不安、怯え、恐怖から吠えていた。でも、僕は、ひとまず、ご飯とお水が貰えるだけで、ホッとしていた。
そんな僕はある日、夢を見た。
ミルキーと名乗る、フサフサの茶色の毛をした僕より一回り小さい犬が、僕に言うのだ。
「僕にはNYCに住むママちゃんがいるんだ。僕が出来なかったこと、君が代わりにしてくれるかな?お願いだよ。」と。
翌日、アニマルレスキュー団体の人が、キルシェルターにやってきて、僕を見つけ、引き取り、動物病院に連れて行った。ズタボロ状態の僕は、そこで色んな手術や治療を受けた。
2週間後、僕は、信じられないぐらい寒いNYCにいた。ケージから出された僕は、見たことのない種類の人間のメスとオスに抱っこされた。
それが、ママちゃんだった。アジア人という種類の人間らしい。
別になに人でもいいよ。ご飯と水と寝床さえくれたら。
そう思っていたのに、今じゃ、どうだ。ママちゃんが大好きだ。
パパちゃんは、僕の兄弟分。いつも僕の真似をして、変なポーズで寝ている。
ママちゃんは、いつも言う。
「うちの子になってくれてありがとうね。」
「私たちに逢うまで、頑張って生きてくれてありがとうね。」
「コーディが、大好きだよ。」と。
最近、たくさんの夢を見る。
僕がベンチの下で暮らしていたことも、夢かもしれない。3人の少女に助けれたことも。そして、キルシェルターにいたことも。
だけど、ミルキーって犬が、僕に会いに来たのだけは夢じゃない。
ミルキーは、ママちゃんがNYCで初めて一人で飼った犬だそうだ。3ヶ月半の赤ちゃんの頃からずっと死ぬまで一緒に暮らしていたんだって。でも、最後の半年は、病気から、いつも神経がピリピリで、投薬をするママちゃんを、何度も噛んだらしい。投薬が苦痛で、それがまた始まるかと思うと怖くてわけが分からなくなってしまったんだって。本当は、そんなことしたくなかったのに。本当は、良い子でいたかったのに。
そこで僕のお出ましになったと言うわけ。僕は絶対、噛まないからね。
どうだい?ミルキー、僕は、いい仕事をしているだろう?君の期待に答えているかな?
だけどね、ミルキー、僕はどうやら君の歳を越えてしまったらしい。最近は、昔の古傷が痛んで、うまく歩けないんだよ。お腹も良く壊すしさ。だけど、ママちゃんは、「老犬のお世話ができるのは、嬉しい。」とか言うんだよ。「それだけ長生きしてくれている」からってさ。
今の僕は不自由だらけの毎日さ。
ご飯の時間、お散歩の時間も決まっていて、おうちの中のトイレの場所も決まっている。脚も、うまく踏ん張れなくなってきて、片足上げてのオスの威厳を見せつけるおしっこスタイルも出来なくなった。気がつくと、狭い場所に入ってしまい、抜け出せなくなることもしばしば。身体中が、自分の思うように動かない。本当に不自由だよ。
だけどね、僕は、この不自由を愛してる。
そう、この日々を愛しているんだ。