小説「走る、繋ぐ、生きる」最終話
【歩子@JFK空港, NYC】
搭乗時間まで後1時間ちょっと。
歩子は、出発ターミナル内のフードコートにいた。
コーヒーを飲みながら、周りをぼんやりと見ていると、歩子同様、ギクシャクとした動きの乗客がいるのに気づき、あの人も走ったんだなぁ、妙な親近感が湧く。
夢の様な出来事ってあるんだな。
歩子は、ブラウン夫妻との会話を思い出す。
たっぷり泣いた歩子に、ブラウン夫妻が語った話。
「アユゥコ、まず、私たちは君に謝らないといけない。君が、9マイル地点で私たちを見つけて近づいて来てくれただろう?だけど、私たちは、本当に戸惑ってしまったんだ。どう接していいのか、さっぱり分からなかったんだよ。」
「そうなの。最初に移植コーディネーターから、あなたが私たちにコンタクトを取りたいと聞いた時、ジョンがどんな人物だったのか聞きたいのかと思って、OKと言ったけど、だけど、まさか、逢いに来るとか、NYCマラソンに走りに来るとか、全く想像していなかったから、正直、困ってしまったの。
その、、、なんて言うか、ジョンの心臓のレシピエントに逢うって、、、私たちには想像がつかなかったの。
本当に、困ってしまって、だから、メールの返信も出来なかったのよ。」
「でも、あなたは来た。そして、私たちを探して、逢いにきてくれた。」
「だけど、私たちは、逃げた。そうだろう、メアリー?」
ジムの問いに、メアリーが頷く。
「だけど、その時なんだ、君が走り去った瞬間、私の頭に、いや、心になのかな? ・・・いきなり声が響いたんだ。
“パパ、ママ、アユゥコを応援してあげて。アユゥコを応援することが、僕を応援することなんだよ。”と。
私は驚いて、メアリーの顔を見た。すると、、、」
「ええ、私も同じ声を聞いたの。ジョンの声を。」
「それで、私たちは、急いで家に戻り、この看板を作って、電車に飛び乗って、あそこで待っていたってわけさ。」
「こんな話、信じられないと思うけど・・・。」
恐縮するメアリーとジムに、歩子は言った。
「もちろん、信じます。ジョンは、ジョンはここにいます。だから、、、」
歩子は、二人に、自分の心臓の鼓動を聞けと言う様に、ジェスチャーをした。
戸惑いながらも、誘惑に勝てない様に、メアリーが屈んで、歩子の心臓部分に耳をつけた。トクン、トクンと安定したリズムの鼓動が伝わる。
メアリーの身体が小刻みに震え始めた。
「嗚呼、聞こえる、聞こえるわ。ジョンの鼓動が。」
その後、女性の胸に耳を置くなんて、と固辞するジムも、二人の女性に何度も促され、ようやく意を決し、跪き、耳を寄せた。
じっと鼓動を聞いている。そして、遂に耐えられなくなった様に、「ジョン、ジョン」と叫び、咽び泣き始めた。
メアリーがジムを背後から抱きしめる。
そして、その二人を、一番小さな歩子が抱きしめ、三人で号泣した。
三人の中のずっと溜まっていた澱を流す様に。
あれは、夢みたいな出来事というより、奇跡だろうか?
私たちが聞いた声は、あれ以来、聞こえない。
でも、私たちは知っている。あれは奇跡ではなく、現実だ。
ジョンは、私の中で生きている。
ねぇ、ジョン、あなたは伴走ランナーを目指していたんですってね。メアリーとジョンから聞いたわ。
歩子は話しかける。
あなたは、NYCマラソンで、素晴らしい伴走をしてくれた。
一度は負けたと思ったレースを、最後、勝ちに変えてくれた。
マラソンって、不思議ね。レース中に勝ったり、負けたりするのね。
それって、まるで人生みたい。
きっと、これからも、私は、人生というレースの中、勝ったり、負けたりするだろう。
だけど、きっと、大丈夫。
だって、私には最高で最強の伴走ランナーがついているのだから。
(完)