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小説「走る、繋ぐ、生きる」第11話

【歩子@13.1mile – 19mile】

ブルックリンとクイーンズを繋ぐ橋、プラスキブリッジが見えてきた。
この橋の登り坂の途中が、ハーフマラソンポイントだ。

下り基調のブルックリンから急に登り坂になり、脚が一気に重たく感じる。
でも、まだ、余裕がある。
13.1mile (ハーフマラソン)の看板を通り越した時、ランニングウォッチを確認した。2時間11分6秒。立ち止まった割にはそれ程、想定タイムより落ちていない。どうやら、ブラウン夫妻と逢った後、2マイルほど、がむしゃらに走っていたようだ。

顔を上げると、左手に、マンハッタンの摩天楼が広がった。

感嘆と共にじんわり心が熱くなる。

そして、なんだか知らないけど、気持ちの整理がついてくる。

ジョンをこの場所に連れて来たかった気持ちには嘘はない。
それでいいじゃない? 

ブラウン夫妻の気持ちはブラウン夫妻のもの。
私にはコントロール出来ないものだ。そこは、彼らの聖域であり、踏み込めない場所なのだ。

父も母も、必死で私の命を守ろうとした。出来ることは全てやろうとしただけだ。
そこには損得も、よもや、誰かの不幸を願うこともなかった。

ただ、神様がもし存在し、采配を振るうことができるのであれば、どうか、歩子にも、生きるチャンスを与えて下さい、と願い続けただけだ。

クイーンズの息の合ったダイナミックなブラスバンドの応援、大きな日本の国旗を掲げ応援するNY在住の日本人たち、歩子にとって全てが新鮮だ。

難関のひとつ、クイーンズボロウブリッジのダラダラと続く登り坂には、心が折れそうになる。しかし、なんとか登り切り、下っていくと、段々と近づいてくる歓声に心が逸る。

橋を渡りマンハッタンに到着した途端、大歓声に包まれた。

何これ?!

嬉しいというより、驚く。自分がまるでスターにでもなったみたいだ。

すごい、すごい、私、こんな中、走っている。
自分の脚で、走っている。

病弱だった歩子にとって、運動会は無縁の場所だった。表彰される事はおろか、応援された経験もない。

そんな私が、今、みんなからこんなに応援されている!

感激と感動で泣きそうになる。

ダメダメ、ここはまだ、17マイル(27.2キロ)、後、9マイル強(15キロ弱)も残っている。ここはゴールじゃない。泣くのはもう少しお預け。

19マイルで、急にガクンとペースが落ちた。脚が石の様に固くなってきた。

ブロンクスに繋がる橋は地獄。
短い橋なのに、中々終わらない。
息が上がる。苦しい。

前後左右のランナーも同じ気持ちなんだろう。
目が合うと、お互い苦笑い。“キッツイよなぁ。”と、言語を超えたコミュニケーション。ランニングは個人競技の孤独なスポーツと言われるが、そんなことないんだと知る。

歩子も例に漏れず、ブロンクスで味わう30キロの壁にぶち当たった。

自分の脚じゃないみたい。脚全体が、重たいというレベルを越え、岩の様にガチガチに固まり、脚を一歩出すのも辛い。

こんな状態で、後、10キロ?!

今度は、痛み、不安、辛さで泣きそうになった。

マラソンは30キロからが勝負って言われているが、勝負もなにも、脚がこれじゃ勝負にも出れないじゃない。

周りのランナーも多くがゾンビ状態になっている。
だが、そんな中、ペースを上げていくランナーもいる。

余裕なんだな、と羨ましく思っていたが、彼らの表情を見るとそんなことはないと気づく。必死に踏ん張っているのだ。自分に負けない様に、踏ん張っているのだ。

そっか、勝負って、自分との勝負なのか。

私、ジョンの代わりにNYCマラソンを走ってあげるとか偉そうに思っていたけど、その前に、全然、自分が自分に負けているじゃない。そんな自分が、誰かの夢を叶えてあげるなんて出来っこない。

自分がまずは強くならないといけない。まずは、自分が自分の脚で、今を乗り越えないといけない。

歩子は、ギシギシと軋む脚に念じた。

私の脚、頑張って。一緒に今まで頑張ってきたじゃない。
冬も春も灼熱の夏だって。歯を食いしばって、一緒に乗り越えてきたじゃない。

私は頑張れる。私の身体はまだまだ諦めない。

歩子は、いよいよ、マンハッタンに突入した。

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