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小説「走る、繋ぐ、生きる」第10話

【歩子@11マイル, Brooklyn】

走っているランナーの邪魔にならないように、なるべく沿道の人のいない場所に移動した。

これから、どうしよう。

完走しか考えていなかった歩子は、途方にくれた。

「お姉ちゃん、どうしたの?どこか怪我したの?」

いきなり、下の方から、声をかけられてビックリした。
小さな男の子、いくつぐらいだろう?6、7歳ぐらいの、綺麗な金髪の男の子が、心配そうに歩子を見上げていた。

「おい、ジョン!どこに行った? あ、そこにいたのか。勝手に側を離れちゃダメだぞ。」

沿道の人混みの中から、いかつい中年男性がこちらに向かってくる。

手には、どうやらビールが入っているらしき茶色い紙袋が握られており、アルコールで、首元まで赤く染まっている。

この最悪な状態の時、英語で酔っ払いを相手にするなんて、とてもできない。

歩子は、男性と目を合わせないよう、立ち去ろうしたが、「お姉ちゃん、僕のオレンジ食べていって。」と、少年に手をむんずと掴まれた。
少年は、歩子を見上げ、無邪気にニコニコ笑っている。

その間に、赤ら顔の父親がやってきてしまった。

「ん、なんだ、どっか怪我でもしたのか?」

歩子を見て息子と同じ反応をする父親は、どうやら悪い人ではないかもしれない。

いいえ、と首を横に振る歩子の顔をじっと見て、父親が言った。

「じゃぁ、なんでこんなところで油売ってんだ。泣いてる暇があったら、前に進め。まぁ、人生、色々あるのは分かる。だが、考えても仕方ないことは、仕方ないんだ。きっと、前に進んでいるうちに、分かることもあるし、解決することもある。

俺も人生に関して、偉そうなことは言えないが、言えるのは、怪我もしてない奴を、ブルックリンでリタイヤはさせねぇってことだ。俺は、生粋のブルックリン生まれのブルックリン育ちさ。ガキの頃から、ずーっと、NYCマラソン参加のランナー達を応援してきてるんだ。俺の目の届くところで、レースから逃げようたって、そうはいかねぇ。えっと、名前は、“アユゥコ”か。ほら、アユゥコ、走れ! おっと、その前に、ジョンのカットしたオレンジ持っていけ。元気でるぞ! さあ、行け、走れ!」

荒っぽい言葉で無理矢理背中を押され、歩子は、仕方なく、コースに戻り、またノロノロと走り始めた。
背中に、親子の視線が痛い程、感じる。逃げられない。

そろそろ、私の背中が見えなくなるかなという頃、「リタイヤするなら、クイーンズかブロンクス、マンハッタンでしろ! 絶対、ブルックリンではするなよ!」と、叫ぶ声が聞こえ、思わず、笑ってしまった。

走りながら、ジョンと呼ばれる少年がくれたカットオレンジを口に入れた。

甘酸っぱい香りが口いっぱいに広がり、目が覚めた気持ちになった。

不思議なことに、先程までの、世界の終わりの様な気持ちは、いつの間にかどこかに消えていた。

魔法のオレンジ?

奇しくも、ジョンと同じ名前の少年がくれたカットオレンジに何か意味を感じた。

いや、ジョンなんてアメリカにはゴロゴロいる名前だ。
まさか、あの少年と私に心臓をくれたジョンとに繋がりがあるわけがない。

だけど、私にまた走る力を与えてくれた事は確かだ。

走ろう。兎に角、今は、NYCマラソンを走ろう。

歩子は、前を見据え、ペースを上げた。

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