軽薄、低俗が平和を作る?
え、今度は、イスラエルとパレスチナ?いや、イスラエルとハマス?
ウクライナとロシアの戦争も終結が見えないのに、止めてくれよ。いや、もしや、世界がウクライナ戦争にばかり注目しているから、”我々の存在感が薄れている。”とかの理由で、ハマス、あんなことやったんじゃないよね?
いかにせよ、なんなの?もう大義とか自分だけの正義とかやめてくれよ。それは自分の中だけで、思っていたら良いじゃん。なんで、自分が信じているものを、人にも押し付けんだよ。他人が違うものを信じていたら、自分の信じているものが否定されるとでも思っているとすれば、それこそ信仰心が足りてないんじゃないの?
と、いうのが最近の私の気持ち。
日本人は平和ボケとか頭の中がお花畑とか揶揄されることもあるし、実際、まだイキっていたティーンだった頃の私も、”日本人はだからダメなんだ。もっと、世界を見ろ。井の中の蛙じゃダメだ。”と、思っていました。
”正義”とか”やるべきこと”とか、はたまた、”真実”とか、真剣に考えてました。まぁ、真面目だったんですね。
で、日本を出て、海外で揉まれ、30年ぐらい経ってみての私の感想は、
「軽薄短小、低俗が平和を作るのかも?!」です。
つまり、日本人の平和ボケや頭の中お花畑が平和を維持する非常に重要な要素なのではないかと気づいたわけです。
さすが、八百万の神を信仰するのが当たり前の日本人、キリストもイスラムもユダヤすら、「へー、そちらも神様なんですね。では、世界中の神様を入れたら、八百五〇万ぐらいいるかもしれないねー。」って感じで、包み込む。
結婚式はクリスチャン風がなんか素敵。クリスマスも大好き!
イスラムってなんだか神秘的で魅かれる〜。
ユダヤ教って不思議感いっぱい〜。ハヌカってお祭りあるみたい。やってみたいー。
そんな人たちで溢れる日本。それに対し、
不謹慎だ!不真面目だ!お前たちの考えは間違っている!
そんな風に怒って、憎み、殺し合うことを、果たして、神様は望んでいるんでしょうか?
「もっと、世界を見ろ!」
と、日本人に(心の中で)叫んでいた私。
今は、「もっと、日本人を見習ってはいかがでしょう?」
と、世界に向かって伝えたい。