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また、走ってみないか?(7)

1月のハーフ、1時間23分50秒。惨敗。
ニューヨークの冬を舐めてました。すみません。前々日に降った雪は、セントラルパークのコース上から見事に除雪されてましたが、西側のコースの向かい風は、容赦なく、また、給水所の水が凍っているのにも絶望しました。
ハーレム坂3周は想像以上に僕の脚と気力を削ぎました。

2月のハーフ、1時間19分1秒。気合いで切ったNYCマラソン出場権クォリファイタイム。でも、このタイムでは、人数制限もあるらしいから、3月のハーフで、更に確実なタイムを狙いたい。

そして、背水の陣の3月のハーフ、1時間18分23秒。今の自分の限界。それが分かったのが良かった。つまり、もっと、タイムを伸ばせるってこと。4ヶ月のトレーニングでここまでなら、伸び代はまだ十分あるってことでヨシ。

3月半ば、NYCマラソン出場権ゲット。やったぜ、これで準備は整った。
ここからが、本当のスタート。僕の第二のランニング人生の。

実は、人生でフルマラソンの距離、つまり、42.195kmのレースに出たことは1回しかない。駅伝選手の多くは、ハーフまでの距離に特化して練習をする。距離が倍違えば、ペースも違うし、実は、ハーフとフルマラソンは全く別物の競技だ。ハーフで輝かしい記録を出す選手が、フルでは、結果が出せないなんてケースも普通にある。ただ、僕の場合、大学時代にロングランの練習として、1度だけ走った。その際、思いの外、良いタイムで、且つ、それほど、疲れていない自分の肉体に驚いた。つまり、僕は、フルマラソンの才能がある。そう、この思い込み大事。

って、わけで、11月のNYCマラソンまで、走った、走った。
そこで、迎えた夢のNYCマラソン、なんと、仙台から両親が応援に来た。
母さんは、丁度、ニューヨークに来たかったからって言いつつ、また、僕が走り出したのが嬉しいらしい。そういえば、母さんは、僕が、中学で陸上部を選んだ時も嬉しそうだったなぁ。いつも、時間が許す限り、レースの応援に来てくれていた。

レース当日の朝、母さんが持ってきてくれた餅を4個食べ、いざ出陣。
5万人規模のレースは、スタート地点からして、すごい。何がって、何もかもがだ。巨大な敷地に、人が溢れている。ランナーだらけの中、セントラルパークを走っている間に知り合った日本人ランナー達を見つけて、声を掛ける。

「今年で35回目なんですよ。」なんてベテランランナーもいて、驚く。え、35回目って事は、35年前から走っているってことですよね?それ、僕の生まれる前からなんですけど・・・、と、頭の中で計算しながら、心の中でつっこむ。え、その上、サブスリーランナー?え、あなた、何歳なんですか?と、度肝を抜かれる。かと思えば、「毎年、ブラインドランナー(盲人ランナー)のペーサーやってるねん。今年で15回目。ちなみに、9月からマラソン毎週連続で走ってるねん。これで、今年、何本目のマラソンやろ。10本は超えてるわぁ。あ、全部、ボストンマラソンクォリファイタイムでな。はっはっは。」なんて、年齢不詳・走力計測不能の女性ランナーもいて、なんか、やっぱり、ニューヨークって底が見えない個性派ランナーがウヨウヨしており、面白い。
日本にいたら、自分と同じような価値観の同じような走力のランナーとばかりつるんでいただろう。それが、実は自分の可能性を狭めていることに気づかずに。

そして、お待たせしました。

NYCマラソンの結果は、、、2時間52分29秒。ハイ、惨敗です。
え、サブスリーで惨敗って嫌味かって?
いやいや、僕にとって、最低でもサブエガ(2時間50分切り)と思っていたので、そりゃ、惨敗でしょう。考えてみて下さい。あなたが、日頃3時間40分は確実と思って走るランナーで、3時間55分で完走して、「サブフォーおめでとう。」って褒められて嬉しいですか?自分では、惨敗だって思うでしょ?
同じです。

でもね、タイムは惨敗でも、最高のレースだったんです。
噂通り、長い橋が多く、アスファルトは硬くのドSコース。でも、沿道の応援が、兎に角、スゴい。あの歓声の中で走りたいと思っていたけど、想像以上のエネルギーになって、ランナーを走らせてくれるんです。だから、前半は、予定以上に調子良かったんです。このままペース刻んで、35キロから、ロングラストスパートで、、、なんてことも頭に浮かんでましたよ。

でもね、やっぱり、身体というか脚は正直ですよ。8年ぶりに、半年トレーニングして、フルマラソンって甘くない。
奇しくも、去年、僕が応援していた場所で、右の脹脛がピシッときて、思わず倒れ込んだんです。ヤベっ、終わったと思いましたよ。
そしたら、去年も僕の隣でがなり声で応援していたおっさんが、「Hey, 1851, Stand up, don't give up! you can do it!! (おい、1851(僕のゼッケン番号)、立て、立つんだ!!諦めるな!お前には出来る!!」と、僕に向かって、叫び続けるんです。周りも固唾を飲んで僕とそのおっさんの掛け合いを見ている状態で、なんていうか、もう、立つしかないっていうか・・・。

で、なんとか立ち上がったら、ウォーーーー!って、歓声と拍手が上がって、、、。え、俺、もしかして、ロッキーになっちゃってる?って、思わず、笑っちゃいましたよ。そしたら、筋肉がほぐれたのか、また、走れるようになって、、、最後の5キロは、最速とまではいかなかったけど、両親が応援してくれている前では、良い走りを見せることが出来ました。だから、惨敗でも、最高のレースだったんです。どんなシーンも、全部、面白かった。
本当に、楽しかったんです。心も身体も、僕の全部が、歓喜していたんです。

(続く)






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