物書きの私とぼちぼち介護とゆる~い家庭菜エニスト
タイトルに私のすべてをぶち込みました! ってほど、熱い内容じゃないけど、私の現時点の人生です!
昔から私を知っている人には、「向こう見ずの無鉄砲」と、坊ちゃんのように言われてきましたが、実はもっとゆるゆるで、あまり深く考えず、ちんたらフーテンの寅さんのように気ままに生きていたんだってことを人生も半ばにして気づきました。
名古屋でフリーライターをしていた20代最後の年に、このままでは終われない(何が?)と、遅れてきた反抗期のように単身で東京に出ていき、その後無計画のままデキ婚(高校生かっ)、2児の母となり。ま、それなりに苦労もしつつ、卒親と同時に、さんざん心配をかけたせめてもの償いにと、認知症になった母の介護で実家に戻り、早2年半。ある人は、これを激動の人生と呼ぶ……。
本人は全くもって激動の意識はないし、あっという間の出来事だったのですが、一般的には波乱万丈系のようで。
でもね、なんで物書きになったかといえば、どうしようもなく抗えない欲求をですね、罪にならずに吐き出せるとしたら、それは物を書くことでは?と思いたったのがそもそもの始まりで。もともと「普通に!」ってことがとっても苦痛で、「ちゃんとしなさい」の「ちゃんと」がわからない!! ような幼少~青春時代を送った私にとって、たとえ自分が非常識であったとしても、自分のことを書くなら訴えられることもない。そうやって、自伝ばかり書いていた「15の夜」(自伝ていうほど生きているか?)。なんだか面倒くさい大人たちの自己満足やしがらみたっぷりの人間関係から逃げ出すには、自分の世界に籠れる最高の場所が書くことだったわけです。そうやって、無事、罪を犯さず、大人になることができ、書くことで自分を肯定し、好き勝手生きることができました。まさに私にとって書くこととは、生きる手段!
そんな私も50を超え、もはややり残したことはないだろうと思っていた矢先の人生100年時代宣言。 42.3キロのフルマラソンを走っていたら、「あ、やっぱり100キロで!」と言われたような気分とでもいいましょうか。
ただ、常に時代の先端を走ってきたと勘違いしているバブル世代にとって、ここで人生を降りるわけにはいかない!となったのです。(降りてもいい!)
ならば、あと50年弱生きるならと、人生の新たな一歩を踏み出してみよう!そう決めて、母の認知症と向き合い、封建世代の生き残りの父と再び対峙し、実家での暮らしを再スタートしました。
しかしどんなことにも気づきはあり、成長ってあるんですね。この愛知での田舎暮らし生活は、プチ引きこもりで仕事以外には極力人に会わず、私ほど辛い人生はないと悲劇のヒロインに陥ってみたりもした時期もありましたが、コロナ自粛となった時には、すでに引きこもりにも慣れ、あまり苦ではなくなっていたのです。人生万事塞翁が馬!
そんなこんなで、この2年半での気づきが、これから突入するであろう認知症800万人時代に少しでも役立てられたら良いなと思うし、間違いなく目の前に迫る自分の衰えや老後も含め、親の老いとどうやってポジティブに向き合っていくか、ということをダラダラと書いていこうと思っています。
その合間に、物書きの仕事のあれこれやアフターコロナには、確実にやった方がいいと思うプチ自給生活のための「家庭菜園のススメ」をちょいちょい挟み込みながら書いていこうと思っています。
たいしたこと書いていなくても、キーボードをピアノの鍵盤のようにたたきながら、穏やかな気分に浸れるのは、やはり物書き魂。いつか誰かへの鎮魂歌となるような文章を書けるように、日々精進したいと思います。
それと、人生100年時代に向けて、ちょっとカツを入れたい人へ、和楽webに記事を書きました。こちらもご覧ください~。
「「麒麟がくる」サイドストーリー?93歳で「関ヶ原の戦い」に参戦した大嶋雲八の豪快エピソード」
https://intojapanwaraku.com/culture/93638/
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