第2章 2 接続詞 ──実用文なら接続詞を減らさなくてもいい

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第2章

2 接続詞──実用文なら接続詞を減らさなくてもいい

■実用文は接続詞を多めに使うほうがいい
 何はさておき、接続詞の話から書く。理由は簡単。この問題に関してはずーっとダマされてきたため、恨みに近い感情を持っているから。とまで書くのは大げさだから、表現をかえよう。文章読本の記述が不十分なことに気づかず、長いあいだムダに悩んできたから……書き方をかえても、同じようなもんか。
 ほとんどの文章読本には、「接続詞を減らせ」と書いてある。この源流はハッキリしている(違うかな)。

【引用部】
彼等は文法的の(ママ)構造や論理の整頓と云うことに囚われ、叙述を理詰めに運ぼうとする結果、句と句との間、センテンスとセンテンスとの間が意味の上で繋がっていないと承知が出来ない。即ち私が今括弧に入れて補ったように、あゝ云う穴を全部填(うず)めてしまわないと不安を覚える。ですから、「しかし」とか、「けれども」とか、「だが」とか、「そうして」とか、「にも拘わらず」とか、「そのために」とか、「そう云うわけで」とか云うような無駄な穴填めの言葉が多くなり、それだけ重厚味が減殺されるのであります。(谷崎読本p.168~169。傍線は引用者による)

 この文章のインパクトがメチャクチャ大きかったため、多くのセンセーが「接続詞を減らせ」と書くようになった。
 それほど有名な一節だが、どうにも納得できずにモンモンとしていた。頭では理解しているつもりでも、実際に文章を書こうとするとつい接続詞を使いそうになる。そのたびに「まだまだ修業が足りん」と自分を戒めた。いまにして思えば、足りないのは修業ではなく知恵のほうだった。どんな文章でも接続詞を減らさなければならないわけではないのだ。「結論先行」はあまり好きではないが、あえて結論を先に書いてしまう。
 接続詞を減らすか増やすかは文章の種類によって決まる。芸術文なら少なめに、実用文なら多めにすることを心がければいい。
 たったこれだけのことだった。「多め」が極端なら、「ちょい多め」でもいい。例によって、さまざまな種類の文章を全部同列に扱って説明しようとするから、ヘンなことになってしまう。厳密にいうと、実用文のなかにもいろんな種類があるんだが、ここではそのことにはふれない。
 谷崎読本が対象にしているのは芸術文だから、接続詞を多用すると〈重厚味が減殺される〉と考えるのは当然といえば当然。実用文の場合は話が別になり、論理性を重視すればするほど、接続詞が多くなる傾向がある。
 論より証拠。いま引用した谷崎読本でも、「即ち」「ですから」と接続詞を使う文が続いている。どんなに嫌っていても、論理的に書こうとすると接続詞を使わざるをえないってこと。こういう揚げ足をとるようなヤリ口がヒキョーなことはわかっています。大目に見てよ。こんな方法でも使わなきゃ、大文豪に刃向かえるわけがない。
 大文豪でさえこれなんだから、フツーの文章読本だって接続詞から逃れられるわけがない。「接続詞を減らせ」と書いてある文章読本を、意地悪な目で見るとすぐにわかる。けっこう接続詞を使っている。
「即ち」とか「ですから」って接続詞だろうか? そういう疑問はごもっとも。実は接続詞の定義はむずかしい。参考までに、一般的な接続詞の分類を見てみよう。『仕事文の書き方』(高橋昭男)のp.123~124の記述から抜粋する。

【抜粋部】
1)順接(具体例の提示、換言、結果の提示)
 したがって/そこで/だから/ゆえに/すると
2)逆接(逆の意見の提示、限定など)
 しかし/だが/ところが/でも/が/けれども
3)並列・追加
 および/そして/また/加えて/ならびに/その上/なお/しかも/それから/
 それに/さらに
4)選択
 または/あるいは/それとも/もしくは
5)説明・補足
 つまり/なぜなら/ただし/すなわち
6)話題の転換
 さて/では

 このあとに、接続詞と同じような働きをすることがある言葉として、次のものがあげられる。

【引用部】
順接 このため/そうだとすれば/このようなわけで
逆接 その反面/そうはいっても
並列 それと同時に/これとともに
説明・補足 要約すると/言い換えれば/その理由については/なぜかというと(p.124)

 まあこんなとこだ。この記述に従うなら、「すなわち」は「説明・補足の接続詞」だし、「ですから」は「順接の接続詞」の「だから」の仲間みたいなもの。どうだ、大文豪。悔しかったら何かいってみろ……別に悔しくもないか。
 接続詞は、ここにあげたものがすべてではない。具体例をあげると、次の接続詞が抜けている。

  たとえば(「説明・補足」になるのだろうか)/ところで(「話題の転換」)

 そのほかにも接続助詞に分類されそうなものもあるし、役割が微妙な接続詞もある気がする。「接続詞と同じような働きをすることがある言葉」は無限(ってほどじゃない)にあってキリがない。同様の分類をしている文章読本は多いが、たいていはも~っと不完全。いろいろと見比べると、役割なんかが微妙に違っていることもわかる。誰か完全な分類一覧を作ってくれると助かるんだけど。そういった大変な仕事は専門家にまかせることにして、とりあえず次のことを頭の片隅に置いといてほしい。

・接続詞の定義はむずかしい
・接続詞の役割を分類するのはむずかしい
・「接続詞と同じような働きをすることがある言葉」をウマく使えば、接続詞は使わなくても済む

■接続詞否定派の主張──とにかく減らせ、できるだけ使うな
 本来は芸術文に関する心得だったはずの「接続詞を減らせ」が、いつの間にかすべての種類の文章に共通する心得になってしまった。実用文を対象にしている文章読本も、ほとんどが「接続詞を減らせ」と書く。
『成川式 文章の書き方』(成川豊彦)のp.68には、〈接続詞は、できるだけ省く〉ってテーマで、次の〈悪い例〉と〈よい例〉が紹介されている。例文中の「これにより」は接続詞ではなさそうだが、厳密なことを書きはじめると泥沼にはまるので無視する。

【引用部】〈悪い例〉
 最近では、「定年までこの会社で働きたい」と思っている新入社員は、2割にも満たない。そして、「機会があれば転職したい」と考えている人が、5割を超えているという。だから、人事としても、これまでのような終身雇用・年功序列を前提にできなくなっている。これにより、年俸制を採用する大企業も増えてきている。とはいえ、日本の企業では、完全な能力主義が定着するのはまだまだ先ではなかろうか。

【引用部】〈よい例〉
 最近では、「定年までこの会社で働きたい」と思っている新入社員は、2割にも満たない。一方で、「機会があれば転職したい」と考えている人が、5割を超えているという。
 人事としても、これまでのような終身雇用・年功序列を前提にできなくなっており、年俸制を採用する大企業も増えてきている。とはいえ、日本の企業では、完全な能力主義が定着するのはまだまだ先ではなかろうか。

 このように接続詞を減らすと、〈スッキリした文章になる〉らしい。それはそのとおりだ。〈悪い例〉はあまりにも接続詞が目立ち、相当ヘンな文章になっている。こういう例を見ると、たしかに接続詞が少ないほうがいいような気になる。お断わりしておくが、この〈悪い例〉はまだ自然なほう。大半の文章読本は、接続詞をおとしめるためにもっと極端な例をあげている。「そして、〇〇が××になった。そして、△△が□□した。そして、……」のように接続詞が連続する文章を例にあげ、「接続詞を減らせ」と力説する。
 これが文章読本の常套手段で、詭弁でしかない。自説を正当化するためにとんでもない例をあげ、高飛車に決めつける。あげくの果てに、いい文章には接続詞が少ないと名文まで持ち出す。こんな強引な論法が許されるなら、どんな珍説にもそれなりの説得力をもたせられるって。
 いま例にあげた〈悪い例〉と〈よい例〉をもう一度見てほしい。〈悪い例〉に出てくる4つの接続詞を、どう書きかえているか。

1)そして、  →一方で、
2)だから、  →削除して改行
3)これにより、→削除して前後の文を結合
4)とはいえ、 →不変

 いろいろとインネンをつけたいとこはあるけど、細かいことを書きはじめるとキリがない。とりあえず次の点を確認しておく。

1)順接の接続詞(そして)を逆接の接続詞(一方で)にかえると、文脈がかわる(そりゃ当然だよな)
2)改行すれば接続詞を削除できることがある(この場合は改行しなくてもいいかも)
3)接続詞を減らすと一文が長くなる(これは非常に大事。覚えておいてください)
4)逆接の接続詞は削除しにくい

 接続詞をおとしめるための極端な例をひとつだけ見ておく。ある文章読本は、接続詞を悪者にするために次の【原文】と【修正案】をあげている。

【原文】
 彼は、頭もよく、そしてまた努力もした。したがって成績もよかったのである。

【修正案】
 彼は、頭がよかった。努力もした。成績もよかった。

【修正案】のようにすると、〈力とリズム感のある文章〉になるとのこと。ここまで極端だとギャグになっているから、誰が見てもヘンだとわかるはずだ。たしかに【原文】はよくないが、【修正案】も相当ヒドい。こんな無理なことはしないで、「彼は頭がよいうえに努力もしたので、成績がよかった」ぐらいにしておくほうがよほど自然だ。個人的な趣味では「頭がよい」の前に「もともと」を入れたい。それでもまだヘンな感じが残る? それは【原文】の責任です。

■接続詞肯定派の主張──論理的に書くには接続詞は欠かせない
 少数派ではあるが、実用文に限って接続詞を肯定している文章読本もある。

【引用部】
 谷崎潤一郎は、『文章読本』の中で、こうした接続詞の使用は控えるべきだとしている。同様の主張をする人は、他にも多い。文学では、たしかにそうだろう。しかし、論述文ではむしろ多用するほうがよいというのが、私の考えだ。
 書き手自身が文と文との論理関係を明確に意識していない場合には、右に述べた接続詞で文をつなごうとすることによって、初めて論理関係を意識することもあるだろう。(野口悠紀雄『「超」文章法』p.171)

【引用部】
 接続詞はこのように、短いが、味のある言葉である。接続詞を巧みにいかすことによって、書き手の思いを事前に伝えることができる。このような場面で効果を発揮するのが、接続詞などの「つなぎ語」である。
 つなぎ語には、接続詞の他、副詞、副詞句などもある。つなぎ語は、以上の効果に加えて、文章にリズム感をつける役割もあわせもっている。
 本書冒頭で、「文は短く書け」と主張しているが、文を短くすると、文間のリズムが切れてしまう。それをつなぎあわせるのも、つなぎ語の役目である。いい文章を読んでいて気づくことに、接続詞の巧みな用法がある。(高橋昭男『仕事文の書き方』p.122~123)

 ネックになるのは、いい文章で〈接続詞の巧みな用法〉を探すのがむずかしいこと。井上読本が『坊つちやん』の掉尾を飾る「だから」の例をあげ、〈日本文学史を通して、もっとも美しくもっとも効果的な接続言〉(p.100)としているのは例外だ。接続詞の使い方の参考にできなくはないが、この着眼点は凡人にマネのできるものではない。
 対象を実用文にハッキリ限らない文章読本だと、肯定派でも論調はどうしても弱くなる。

【引用部】
 文豪として名高い谷崎潤一郎は、文章の中に接続詞を入れるのを嫌った。「しかし」「けれども」といった接続詞が入ってくると、文章に重みがなくなるというのである。だからだろうか、たいていの“文章読本”には、接続詞を多用しないと書かれているが、接続詞がまったくない文章は読みづらいのも事実だ。接続詞はその文脈を見きわめて、使うか、使わないかを判断したい。(日本語倶楽部編『うまい文章の裏ワザ・隠しワザ』p.115)

 またしても谷崎読本である。あの一冊が後世に残した影響の大きさがうかがえる。名著に対抗するために、名著にご登場いただく。

【引用部】
私が一生懸命に説いているのは、「無駄な穴填めの言葉」を大いに使おうという話なのである。実際、谷崎潤一郎氏の言う通り、こういう接続詞や接続助詞をやたらに使うと、文章は次第に読みにくくなる。もちろん、読みにくくしようというのが私の本旨ではない。自分の安定したスタイルが出来れば、「無駄な穴填めの言葉」をあまり使わないでシッカリした構造の文章が書けるようになることも事実である。しかし、それは入門の段階の問題ではない。それに、接続のための言葉が必要か否かも一概に決めるわけには行かないのである。(清水読本p.111)

 このあとの例示がみごとなんだけど、長いので要約する。清水読本の〈論文〉は、先に見たように「実用文」とほぼ同じものなので、そう置きかえて読んでもらいたい。

【要約部】
1)ひとつの句が多くの言葉を含み、ひとつの文が多くの句を含む文体(谷崎潤一郎の文体はある種の典型)なら、「無駄な穴填めの言葉」は減る。接続詞・接続助詞が句や文に内蔵されるから。この文体は、論文には向かない。
2)第1文と第2文が相当の範囲で重なり、さらに第3文も第2文と重なる部分があり……という文体なら「無駄な穴填めの言葉」は減る。ただし、テンポが落ちてクドくなる。
3)読み手の経験が叙述を補うことができる場合は「無駄な穴填めの言葉」は少なくてすむ。論文の場合、そういうケースはほとんどない。

 少しだけ補足させてもらう。
 1)は、勝手に書きかえると、一文を長くすれば接続詞を減らせるってこと。
 2)は、1)に近いニュアンスがある。違いをハッキリさせるために具体例を示しておく。

【原文】
……という文体なら「無駄な穴填めの言葉」は減る。ただし、テンポが落ちてクドくなる。

【1)の文体の例】
……という文体なら「無駄な穴填めの言葉」は減るが、テンポが落ちてクドくなる。

【2)の文体の例】
……という文体なら「無駄な穴填めの言葉」は減る。減ることは減るが、テンポが落ちてクドくなる。

 小説やエッセイなどの芸術文は3)の典型になる。そういう芸術文を持ち出してきて「名文家の文章には接続詞が少ない」と主張し、実用文でも「接続詞を減らせ」とするのは的外れ。「それはそういうことが可能な内容だから」としか書きようがない。
 なんのことはない。こんな昔に結論は出ていたのだ。文章読本を書くセンセーはみんなこの本を読んでるはずなのに、なんでトンチンカンなことを書くんだろうね。

■個人的な「意見」を少々──目立つようなら減らせばいい
 芸術文なら接続詞は少なめに、実用文なら接続詞は多めにすることを心がける。
 こう断言して終わらせていいなら、話は簡単。ほとんどの文章読本はそういう論法を使っているが、あまり有効なアドバイスではない。いくら「多めにすることを心がける」といっても、多すぎるとウットーしい。「接続詞は100字に1つ使う」のように具体的な基準はないのだろうか。もっともな疑問だが、そんなものはありません。「少なめ」「多め」以上の書き方があるなら教えてほしい。などと書いていても始まらないので、いくつかのヒントをあげておく。

1)接続詞が目立つ場合は、削除することを考える
 何も考えずに片っ端から削除すると収拾がつかなくなるから、接続詞を次の3つに分けて判断する。3つに分類するのがメンドーなら、AとBは無理に区別しなくてもいい。

 Aたいてい削除できる接続詞(順接の接続詞)
 順接の接続詞(したがって/そこで/だから/ゆえに/すると)は、たいてい削除できる。38ページの谷崎読本からの引用の例なら「ですから」はなくてもいい(「あってはいけない」って意味ではない。要は趣味の問題。あの文の場合は、「ですから」を削除するなら少しかえるべき)。書き終わった文章を読み直す段階でチェックすることをおすすめする。書いているときに神経質になると、書きにくくてしょうがない。

 B削除しても大きな問題がない接続詞
 順接の接続詞以外の接続詞も、削除したって意味が通じることが多い。38ページの谷崎読本からの引用の例なら「即ち」はなくてもいい(これも趣味の問題)。うんと乱暴なことを書くと、逆接の接続詞(しかし/だが/ところが/でも/が/けれども)以外の接続詞は、すべて削除しても大きな問題はない。これも読み直しの段階でチェックしてみる。

 C原則として削除できない接続詞(逆接の接続詞)
 逆接の接続詞は削除するのがむずかしい。削除はできないが、使わずに書くこともできなくはない(そんなことに意味があるとは思えないけどね)。この接続詞をテーマにした「第2章2」は、ここまで接続詞を使わないで書いてみた(引用・要約などを除く)。ものすごく書きにくかったし、ずいぶん不自然なとこがある。興味のあるかたはご確認ください。

2)とくに目立つのは「そして」「しかし」の乱発
 多くの文章読本でヤリ玉にあげられているのが「そして」と「しかし」。たしかにこの2つが目立つ文章は多く、「減らしなよ」といいたくなる。しかし、乱発すると見苦しいのはほかの接続詞だって同様。先の『坊つちやん』の例でも、最後の最後に「だから」と来るから効果的なので、乱発していたら台なしになる。「そして」にしても、使い方しだいだ。いろんなことがあって、さらにいろんなことがあった末に「そして誰もいなくなった」みたいな使い方なら怒られないで済む。
「並列・追加」などの役割がある「そして」は、削除しても大きな問題がないことが多い。目立つようなら、遠慮なく削ってしまう。
「しかし」は逆接の接続詞なので、原則的には削除できない。目立つようなら、話の進め方を検討したほうがいい。

3)一文が短い場合には、接続詞を削除して文をつなぐことも考える

【引用部】
 こうした長い文にならない場合でも、「A……が、B……」というセンテンスは意見文・論文ではやめる方がいい。話がゆるくなり、曖昧になる。だから「が、」を消して切ってしまう。そして「しかし」を加えて「A……。しかしB……」とする。例えば、

 日本語で育った人ならば、ハとガとを間違えて使う人はまずありませんが、複雑な表現の文章を読みこなすためには、ハとガの違いをはっきり認識していることが必要です。

 という文章を次のようにします。

 日本語で育った人ならば、ハとガとを間違えて使う人はまずありません。しかし複雑な表現の文章を読みこなすためには、ハとガの違いをはっきり認識していることが必要です。(大野晋『日本語練習帳』p.102~103)

 部分的な「接続詞肯定派」の説に見えなくはないが、いくらなんでもこれはムチャ。たしかに一文が長い場合は接続詞を使って分けたほうがいいが、短い文なら「が、」を使ってもいい(いま書いた2つの文ぐらいの長さなら、「が、」でも「。しかし」でも構わない。「。しかし」のかわりに「。だが」や「。けれども」などの逆接の接続詞を使っても同じこと)。一文が短い場合には、趣味の問題でしかない。大家のありがたいご高説だが、同意できない(このぐらいの長さなら「が、」を使うほうが自然)。
 逆接以外の接続詞も、たいてい削除して前後の文をつなぐことができる。ただし、ムヤミにつなぐと一文が長くなってしまうので、「一文が短い場合に限って」って条件がつく。
 こうして見ていくと、接続詞の使い方は一文の長さと関係がありそうだ。ということで、次は一文の長さの話になる(ちょっと強引かな)。

 接続詞に関しては、下記もご参照ください。
【板外編13】接続詞の使い方
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1442.html

【20160703追記】
 接続詞の一覧は下記参照。
【接続詞(っぽい言葉)の役割──順接/逆接/並列・追加/対比・選択/説明・補足/転換】 【20130314改定版】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2727.html

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