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「あだ名禁止」という考えは少し浅はかな気がする

子どもたちの間から「あだ名」が消えつつあるらしい

最近、ニュースで見たんですが、子どもたちの間で「あだ名」で呼び合うのを禁止しようという動きがあるらしいです。
あだ名というと、誰でも子どもの頃に一つや二つ思い当たるものがあるのではないかと思いますが、何でもあだ名を禁止することで「いじめを無くそう」と考えている大人たちがいるようなのです。

そもそも「あだ名」とは?

では、「あだ名」とはそもそも何なのか?ちょっと辞書で調べてみました。

あだ‐な【×渾名/×綽名】
《「あだ」は他・異の意》本名とは別に、その人の容姿や性質などの特徴から、他人がつける名。ニックネーム。あざな。(デジタル大辞泉より)
愛称
愛称(あいしょう)とは、とくに親しみを込めて対象を呼ぶために用いられる本名以外の名前の一種である。あだな(渾名・綽名)、ニックネーム、ペットネームともいう。なお、「仇名・徒名」も「あだな」と読むが、こちらは悪評、事実無根の評判、男女関係についての噂を意味する語で、「渾名・綽名」とは意味が異なる。(Wikipedia より)

要するに、自分の本名とは違う「別名」とか「呼称」のことを言うようですね。英語で言えば、ニックネーム。

なんで「あだ名」がいじめにつながると考えられている?

あだ名は、その意味だけで考えれば、別に悪いものだとは思えないんですが、なぜそれがいじめにつながると考えられているんでしょうか。
それは、付けられたあだ名の "扱われ方" に理由があるようです。

例えば、「しんや」という男の子がいたとしましょう。だいたい「しんちゃん」とか呼ばれるんじゃないかと思います。これであれば、ほとんどの場合問題は起こらないし、寧ろ親しみが持てていいと思うんですね。

では、もう少し条件を足してみましょう。この「しんや」くんが、仮に少し太っているとします。あだ名というのは、その人の容姿などから付けられることも多いので、誰かが「でぶや」とでも呼び始めたとしましょうか。すると、あだ名というのは一気にネガティブな印象になりますね。たぶん、しんやくん本人も、呼ばれてあまりいい気分ではないと思います(もちろん、それをポジティブに捉える人もいますが)

つまり、一言に「あだ名」と言っても、扱い方によって印象がだいぶ変わってくるわけですね。「あだ名を禁止していじめをなくそう」みたいな考え方は、このネガティブな側面にフォーカスして唱えられている気がします。

単純にあだ名を禁止すればいいのか?

では、果たして「あだ名」を禁止すれば、本当にいじめは減ったり、無くなったりするのかという問題。個人的は、これは NO だと思っています。
もちろん、さっき書いたように、ネガティブな印象を持つようなあだ名を使えなくすることは、少なからず意味はあるかもしれません。嫌な思いをすることが減るわけですからね。

ただ、あだ名を禁止することによるデメリットもいろいろある気がしていて、それをいくつか書いてみます。

■ いじめに気づきにくくなる
あだ名を全面禁止することで、周りの人たちがいじめに気づきにくくなるリスクがあります。なぜなら、先生や周りの大人たちが、あまり耳あたりのよくないあだ名で呼ばれているのを聞けば、「もしかして、いじめられているのでは?」という異変に気づくことができ、気を配るとか、注意深く観察するなどのサポートをすることができます。みんなが通りいっぺんに「〇〇さん」で呼ばれていては、そんな事実は隠れてしまいます。

■ いじめがより陰湿になる可能性がある
これも上で書いたことに関連するのですが、表立ったいじめが見えなくなる分、さらに陰湿ないじめに発展してしまうこともあるでしょう。いじめの加害者側からすれば、表立ってあだ名を呼べないということだけでも、少なからずフラストレーションがあるはずなので、それをどこかで発散しようとするわけです。そうしたことで、先生や周りの大人たちから見えないところでさらにひどいことをしてしまう危険性もあります。

■ コミュニケーションの阻害となる可能性がある
先にも書いた通り、「あだ名を禁止していじめをなくそう」という考え方は、あくまでもネガティブな、いじめの原因になりそうなあだ名に対しての話のはずです。あだ名というのは、「親しみを込めて対象を呼ぶために用いられる本名以外の名前」というポジティブな側面もあるので、一概に禁止することは、子どもたちがお互いにコミュニケーションを取ることを阻害することにもなりまねません。もっと言えば、友だちとより仲良くなるチャンスを奪うことになるといってもいいでしょう。

上に書いたような理由からも、一概にあだ名を全面禁止することが正しいとは言えないと思っています。

そもそも「あだ名禁止」でいじめはなくならない

「あだ名」を禁止してしまうことは、あだ名で呼び合うことで生まれるポジティブな面をも奪ってしまうので、あまり正しいとは言えないと前に書いたんですが、そもそもこのやり方じゃいじめはなくならないとも思っています。なぜなら、いじめ というものの本質は、そんなに簡単な話じゃないので。

仮にあだ名を禁止されて、子どもたち全員が互いに「○○さん」と呼ぶようになったとしても、可哀想なことだとは思いますが、絶対にいじめられる子は出てきます。人間は、自分と異なる「異質な人やもの」を排除しようとする生き物だからです。特に精神的にも未熟な子どもたちは、特に理由もなく、悪気もなくやってしまうことも多いわけです。

あだ名が無くなっても、陰口は叩かれるでしょうし、教科書を破られたり、上履きを捨てられたり、ネット上で悪い噂を流されたり、こういうことは必ず起きてきます。さらに呼び方が綺麗なので、表面上はなんともで取り繕えてしまう。そう考えると、「あだ名で呼ばない=いじめが減る/なくなる」と考えること自体が少し浅はかな気さえしてきます。

じゃあ、どうするのがいいのか?

ここまで書いたように「あだ名禁止」がいじめに対して大きな効果を発揮するのは難しいのではないかと思います。寧ろ、「あだ名」によって生まれるポジティブな面を無くしてしまうというデメリットの方が大きい気さえしますね。

もっとも大切なことは「あだ名」について、呼ばれた側が「どう感じるか」という一点だと思います。「デブ」と呼ばれて嬉しい子だっているかもしれないし、男の子なのに「〇〇ちゃん」と呼ばれるのが嫌な子だっているわけです。つまり、本人が不快に感じない「あだ名」であれば、それは親密さを増す大切なツールにもなりますし、寧ろすすんでつけるべきだと思います。

教育評論家の尾木直樹さんがこんなことをおっしゃっていました。

自分の「あだ名」を提案するというのは、自分のアイデンティティを確率する上でも、有意義です。自分を客観的に眺めるきっかけにもなるし、何より呼ばれた時に嬉しくもなります。

反対に、周りの人から「あだ名」を付けられることで初めて気づく自分の長所や特徴などもあるかもしれませんね。

要するに、どっちの場合にしても、その「あだ名」を使う前に、一呼吸だけ考える時間を設けられればいいんじゃないかなと。「自分はどんな風に相手に呼ばれたいのか」「こんな風に呼んだら相手はどう感じるだろうか」「これからどんな関係になりたいか」など、少し考えるだけでも、あだ名の在り方は大きく変わってくるはずです。

ということで

長々と書いてきましたが、「あだ名を禁止していじめを減らす/なくす」のではなく、「あだ名のメリットを活かして、良好なコミュニケーションを確率する手助けにする」くらいに考えた方が、少しはいい世の中になっていくのではないかなと。

もちろん「いじめはダメ、ゼッタイ!」というのは言うまでもありません。

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