ペットボトルのキャップに想うこと
私はいつからかペットボトルのキャップをひとつも捨てずにペットボトルを半分に切った入れ物に満遍なく詰めては小さなポリ袋に入れ替えていつかくるその日のためにそれをしまっている。
私にとっていつかくるその日はまだ来ていない。
厳密に言えば来ても忘れてまた溜めるのだ。
本当にいつからだったか、ペットボトルのキャップも集めればワクチンになると何処かで知って、そうか、なら集めておこう、そんな感じで溜め始めたのだろう。
そして満杯になるとポリ袋に入れ替えてしまう。そして新しくキャップを溜めはじめる。
そういうのを何回も繰り返して、あるときの私は「なんでこんなものを取っといてるんだ?」と疑問になりゴミとして捨ててしまった。捨ててしまったあとで、あれ?なんで捨てたんだろうとまた疑問になった。
せっかく、とっといてるんだよ、と思い直してまた集める。
そうしてふと思う。これって、どこに持っていけば資源になるんだ?と。
そうしてある日のまちの何処かでペットボトルのキャップを集めているスーパーに出会った。
ああ!ここで捨てられるじゃん、と思ったのに私は一度も持っていけたことがない。そしてそもそもどこのスーパーだったかも覚えていない。
でも私は今も集めている。なんならスーパーの名前を思い出したいと思っている。
何処かしらのスーパーに行くたび、ペットボトルのキャップを集めていないか見てしまう。そして、あ、ここもいけるんだ?と思いつつまた忘れるのだ。
このペットボトルのキャップとそれを資源として集めているスーパーの存在。点と点が結びつく日が多分くるはずだ
日常とは点と点、点と点、それらがポツポツとある中で何かしらの要因をもってして点と点が繋がり線になり日常の中の動線となるのだ。
いつかペットボトルのキャップを資源ゴミとして捨てられる日もそう遠くないはずだと想いたい。