いつもの、いつもを。
今日は娘っこは学校はお休みした。その娘っことかねてより行こうと約束していたアイカツのゲームをしに行った。
学校を休んでなにしてんの?と思われても仕方ないがアイカツをするために休んだわけではないことだけ書いておく。
実は娘っこと買い物や出掛けるのは久々だった。買い物は彼女の送り迎えの時間を縫ってしていたし、彼女は三学期に入ってからは1日1時間でも登校を頑張っていたので一緒に行くことも少なかった。
久しぶりに「一緒に買い物いこう」と言ったら「わぁ嬉しい!久しぶりだね!楽しみ!」と言ってくれた。あぁこんなに嬉しいことってあるかな?買い物に一緒に行くだけでも嬉しい!って言ってもらえるなんて。
一人でパパッと買ってしまう方が楽は楽。余計なものを買わされない。でもそれはそれで私は寂しかったんだきっと。
誰かと買い物に行くってすごく楽しい。話をしながらあれいいね、これ美味しそう、とかいいながらかごを満杯にして。
いるものだけ機械的に放り込んでたのはちょっと違う、買い物してる感。
コロナ禍でままならないところもある。でも誰かと話をしながら買い物するってめちゃ楽しい。
私のいると思うものしか買わないし見ないけど誰かと一緒だといつもは見ないものをみたり買ったりできる。
お金は有限。でもこうやって使うのだってたまになら悪くない。
一緒に家に帰って一緒に美味しいねって食べる。そのことが今日も明日も続いていくならそれが幸せと呼べるもののひとつなんだと思えるから。
今度はあっちにしてみようね、そうだね、次はちょっと辛いのにする?
そんな会話でさえ、明日を生きることに繋がっていく。
誰かと他愛ない話をして買い物してご飯を食べて。たまにアイカツをして、勝てたら喜んで。毎日ってこうして進んでいくんだね。って思えるから。
どんな世界になっても変わらないものがあってそれはあなたと一緒に食べるご飯が今日も美味しいってこと。それが今日も生きてるってこと。
心許せる誰かと共に今日も生きること。それが今の私のすべてだ。
どこにいて何をしてても家に帰ったらいつもと同じものがある。嫌いだっていったおかずも並んで好きだっていったスープが並んで。
今日も当たり前に日常というものが営めたことに最大限の感謝をして。
明日はどうなるかわからなくても、またこうして一緒にごはんを食べる。そのことが明日も変わらない営みがあるはずだと思わせてくれる。なにも不安にならなくていい。なにも心配しなくていい。ここに帰ればいつものいつもがある。
私たちにできることはそんな小さなことだらけ。でも続けよう。紡ごう。とつとつと同じことをしよう。それが明日なにがあってもなんとかなる、場所になる。
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