全身全霊で愛さない
親は子供を愛してやまない生き物です。もちろん愛は必要。愛しい愛しい我が子です。
がしかし、のめり込みすぎると、愛しすぎると盲目の恋よろしく、何も見えなくなる。
ただ愛している。愛しているから心配だし不安になるしなんでも力になってやりたい。代われるものは代わってやりたい。
私もそうだった。全身全霊で愛してやまなかった。でもそうだといつしか大好きで大好きな我が子なのに嫌なところばかり目につくようになり、一挙手一投足に腹が立って口出ししたくなる。
傷つけたくないのに傷つけてしまう。心の距離も身体的な距離も日々溝となり広がっていく。
愛しているはずなのに、何かがどこか、わからなくなってくる。
何をわかりたいのか、何をどうしたいのかもわからなくなる。
目の前にいるのは愛すべき我が子でありながら何も掴めない他人のようにわからなくなる。
それを私は今日感じた。
全身全霊で愛すべきじゃないんだって。
全身全霊で挑むから恩着せがましくなる。こんなに尽くしているのに、と口出ししたくなる。
そう、いつしか我が子に尽くして尽くして尽くす。
見返りなんて求めていないと言いつつも、どこかで期待している。それを隠し通せるわけもない。
この子のため、そういって本当は誰のためなんでしょうか?
この子のため、は本当にその子のためになっていますか?
ずっとわからなかった。この息苦しさが。頑張ってるのに報われないといつしか感じ始めていたこと。
私はいつだってあなたのためを思って身を粉にして生きているのになぜか鈍く距離が空いたまま。
でも、もういいって、そう思った。
もういいや。
何をこんなに苛立つの?責めてるの?怒ってるの?もう嫌だよ。怒るのも疲れるんだよ。
私はいつだって求め続けていた。
私の価値観に従って、教育という名の下に親として何かを教えたいしやれるようになってほしいと勝手に突き進んできた。だから、こんなに疲れたんだね。わたしは。
それと同じように子供だって傷ついて疲れてきた。きっと。
重箱の隅をつつくようなせめぎあいに疲れ切っていたのかもしれない。
もう何もかも緩く行こう。
ガチガチに決めないでふわりふわり。していよう。
私は私の人生を生きていいし楽しんでもいい。やりたくないことはやらなくていい日を作ってサボる。干渉し続ける自分の目と耳に蓋を。
私達は十分頑張ってきた。
だからもうがんばらない。
互いを大嫌いになる前に距離を置く。それも必要なこと。親子といえど距離をとって暮らすのがいい。
身を粉にして終わりになる前に、身を粉にして恩着せがましくなるまえに一度ストップしよう。
お互いに忙しなく生きることを。
私達は憎み合うためではなく、親子として、人間同士としてそれなりにうまく楽しく生きるためにここにいる。
片手間に子供を育てることも愛することもできないいう人もいるかもしれない。もし、それがしんどくなったら一度親をやめてのんびりしてみませんか?
対人間として相手を見てみませんか?
意外に良いところや得意なこと、お茶目なところが見つかるかもしれません。
怒るより笑って暮らしていたいから私は全身全霊で子供を愛することをやめます。
私は片手間に、でも時には真剣に子供を愛して向き合おうと思います。そして時にはぐうたらして惰眠を貪っておやつをご飯の前に食べてとても手本にはならないような悪さを教えます。
そうして笑って暮らせるなら私はそれが一番楽しい。楽しいだけの育児も悪くない。
明日から笑って片手間に母をやります。
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