表現者が持ってなくてはならないもの

全てのPBWに携わる人々は皆表現者だ。
綺麗なイラスト、素敵なリプレイ、小説、或いは、声。
作る側も作ってもらう側も皆分け隔てなく表現者だ。
そこには唯一無二の自分だけの作品が生まれる。

だけど。
表現というのは人を傷つける。
絵も、音楽も、歌も、ゲームも、この世に存在する何もかも、個人の口から出た言葉ですらも全てが人の表現したものだ。
大衆を魅了する表現はあるが、万人を魅了する表現など決して存在しない。
表現者には人を傷つける覚悟が必要だ。
誰かが我慢していたら丸く収まるわけじゃない。
誰かが喧嘩になるのを嫌がって黙っていたら丸く収まるわけじゃない。
そこには大なり小なり瑕疵が生じる。
僕が今書いているものだって、誰かを傷つけるかもしれない。

人を傷つけるもの、それが表現だ。
けれど、それで誰かを傷つけたとて、謝る人もいなければ作品を取り下げる人は居はしない。
そんなのは産み出された作品に対する冒涜だ。
誰かを傷つけるかもしれない。誰かを悲しませるかもしれない。
誰かの胸に傷跡を残すかもしれない。誰かがその表現のせいで去ってしまうかもしれない。
責任を取れとまではいわない。産み出された表現にはどんな形であれ価値がある。
悪とされる表現にすら、口から瞬時に飛び出た言葉にすら、それには間違いなく価値がある。
いいも悪いもありはしない。

表現物というのは万人を傷つけうる刃だ。
その事実を、その作品はすごい作品だとか、こんな作品作るんだー、とか。
浅い楽しみで塗りつぶして負の側面から目を逸らすな。
そりゃ僕のキャラを嫌う人だっているだろうさ。
表現物に目を覆う人だっているだろうさ。
突き刺さる棘が痛くて痛くて立っているのも耐えられなくなるさ。
返された傷が痛くて痛くて逃げ出したくもなるさ、耐えられなくもなるさ。
でも、その闇にどう贖うにせよ、一定の責任は持とうよ。
手放しで喜んでいい表現なんて実際はどこにもないんだから。

だから敢えて言わせてもらう。
確定のうちよそだからって言って乳合わせのイラストを作るのは
百歩譲ってもいいでしょう。
2人で最初に約束したならその事実を伝えて納得してもらうのもありだろうさ。
でも一回立ち止まって考えろよ?
相手が人見知りで自分に信を置かれているからって何でもかんでも許すタイプなのか?
この子以外誰もいらないってなるタイプなのか?
そもそも自分勝手に言っているその内容に相手が快く同意してくれるのか?
ブーメランが飛んでくることは自覚してるけど、
……僕は、あなたの表現するその手の表現物を認めない。
だってあの子が好きだから。

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