選択すること(進撃の巨人最終回感想)
みなさん、こんにちは。
NHKで放送された「進撃の巨人」の最終回はご覧になりましたでしょうか。私は冒頭だけ観て残りは後で、と思っていたのに気づけば最後まで観てしまいました。
原作が始まったとき私はまだ小学生、アニメが始まったのは中学生のときで、漫画が買えるようになったのはお小遣いが増えた高校生からでした。
以前はなんか壮大な世界観とカッコいい立体機動装置に惹かれて夢中になって読んで/観ていましたが、しばらく時間を空けて今回の最終回観ると、だいぶ印象が違いますね。
進撃の巨人って始祖ユミルが利他的な選択を取れるようになるまでの話だったんですね。
そもそも、巨人の力が継承されるようになったのはフリッツ王がユミルの亡骸を娘たちに食べさせたからです。ユミルは愛する王を庇って死にました。
しかし、この行動はユミルが未来を知っているということを踏まえると、この先2千年の悲劇と自分の感情を天秤にかけ、結果自分勝手な選択を取ってしまったと言えます。
一方のミカサは、エレンと生きたいという願望を抱えながらも、人類を救うためエレンを討ちます。エレンを殺し、共に生きる選択肢を自ら断ち切ったミカサですが、エピローグで描かれたようにエレンを弔い、他の男性と結婚した後も幾度もエレンの墓を訪れます。ミカサは恋心と罪悪感を時間をかけて昇華できたと言えるでしょう。
だからこそ、エレンの首とキスをするミカサの姿を見て、ユミルはフリッツ王を見殺しにするという辛い決断ができました。
このシーン、キスと一緒に巨人に囚われたユミルに外から光が差してて強く物語の結末が示されてていいですよね。
自分の願望を優先させるのではなく、切り捨てても昇華することができると気付くのが大人になるってことなのかなと思いましたね。
以上、進撃の巨人最終回の感想でした。ここまで読んでくれた方ありがとう。
渡部
P.S.
映画「ファルコン•レイク」で進撃の巨人の自傷行為が大人になることに絡めて引用されてたけど、クロエの気持ちを考えず楽な選択肢を選んだバスティアンに降りかかった不幸を考えると「選択」の問題も共通してて面白い。