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役割理論

「紀子の食卓」(園子温監督)の映画に出てくる、“みんなそれぞれ役割があって、それを演じてる”という考え方が好き。

殺される役割、自殺する役割、母親の役割、父親の役割、娘の役割…。

役割

わたしは面倒をみる役割なんだ

消去法で

この家のキャラクター構成なら。

自分が勝手に世話する役割を選んだだけ

長女として

この家で生きてく戦法として

自分が一番ポジショニングできるのが

お世話係だっただけ

誰のせいでもなく

自分でそこにハマっただけ

わたしの役割をそれに決めたのはわたし

だけど10歳のとき身体に異変が起きて役割を全うできなくなったから、0か100か理論で、完璧に思い通りにできないなら全部から逃げたいって、もう家と関わりたくないって、そうやって終わりにしたがっただけ

役割をできないから、家族のせいにして、不貞腐れただけ。腐っただけ。

本当は自分で勝手に引き受けて、できないことを家族のせいにして逃げ回ってるだけ

完璧じゃない自分を許せないのは自分

きっと他人はわたしのこと、どうでもいい

もっと緩やかにとらえてる

自分のミスを1ミリも許せなくて、自分のできなさに耐えられないのは自分

家の人たち、世間の人たちに会うと辛いのは

自分のできなさを自分が攻撃し続けるから

誰もいなければ自分のできなさは誰にもバレないから安心するし気楽で楽しいし

結局、自分のできなさを許せない自分が、自分のできなさ(弱み)を他人に見せれなくてガチガチにガードしてる(鎧を着てる)状態が、一人暮らしの家の外の空間全体

そりゃ疲れて生きていけないの当たり前

鎧を脱いで不完全な人間を認めて

サイボーグじゃなくて

生き恥さらしのただの人間でいい

神じゃないんだし

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