超個人的考察 希望
パンドラの箱の逸話を知っていますか?
ゼウスはプロメテウスが火を持ち出したことに
怒り、女性を泥から作り出しパンドラと名付け
ありとあらゆる災いを入れた箱を渡し、
「この箱は絶対に開けてはならぬ」
と言い含め、パンドラを地上のプロメテウスと
弟のエピメテウスの元につかわします。
パンドラはエピメテウスに受け入れられ、
好奇心から箱を開けてしまいます。
すると、箱からありとあらゆる災いが
飛び出し地上に広がったので、
パンドラはあわてて箱を閉めます。
箱はからっぽにはなっておらず、最後に
「希望」
が残っていた、
といった逸話だったかと思います。
さて、何故最後に残ったのが希望なのでしょう?
希望があるから今辛くても頑張れる、
踏ん張れる、
そういうときも、確かにありますね。
では、辛すぎて、絶望が深くて
何もしたくない、できない状態の時に
あなた方は希望を感じられるでしょうか?
信じられるでしょうか?
非常に難しいでしょう。
しかし、そういったときも希望は
常にあなた方のそばにおります。
あなたの精神や肉体がボロボロであったり、
絶望が深すぎて自暴自棄で何もしたくない、
あるいは全てが憎いとあなたが感じていても、
希望は常にあなたの本来の姿、
愛に満ち、わけあたえ、
喜び、幸せを感じているあなたは
失われていないと信じ続けます。
そして、ただそばにいます。
天使、神仏、聖霊などの高次な存在も、
貴方を守り導く何ものかも、
あなたの中にいるなにものかも、
もしかしたら貴方の身近にいる人々も
「希望」という存在と同じく、
あなたの本来の姿を無条件に信じています。
私たちがはじめてこの逸話に触れたとき、
最後に残ったのが
「希望」
という存在だったことが非常に興味深いと
感じました。
希望が、色々な存在があなたを無条件に
信じているように、あなたもあなた自身を
信じなさい。
どんな状況にいようが、欠点といわれるものがあろうが、
あなたはあなた、
唯一の存在でそれ以上でもそれ以下でもないのです。
この逸話で最後に残したのが
「希望」。
そこに私たちはあなた方の叡智を
感じ、驚嘆をおぼえます、
その創造力に。
今日まで語り継がれてきたことに。