謎のルールが多すぎるよニッポン!
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テレ朝のスーパーJチャンネルをよく見る。その前にやっている科捜研の女とか相棒の再放送を見ていると自動的に始まるからという理由だけでなく、出演者が好きだし、テレ朝らしい番組作りが好きということもこの番組をよく見る理由だ。
ちょうど私もこの場面を見ていた(というより耳だけでニュースを聞いていた)。
松尾アナウンサーの震える声と鼻をすする音。
「ごめんなさい。失礼しました。」と。
これは私も噂程度に聞いたことがある。
昔ならテレビ局にクレームが入っていたかもしれない。「アナウンサーがニュースを読んで泣くとは何事だ!」と。
私はアナウンサーが泣いたっていいと思う。
怒ったっていいと思う。
もちろん報道の使命である「公平に真実を広く伝える」ことが基本なのでアナウンサーの一方的な感情を出してもいいというわけではないことは理解している。
今回の内容も多角的視点で伝えるべきではある。
だけど一般市民を犠牲にした軍の行動には称賛しかねるという人の方が多いのではないだろうか?
報道の使命とは
件のニュースの内容は多くの人が悲しいとか悔しいとかっていう感情を持ったのではないかと思う。決して松尾アナウンサーだけがそう思ったわけじゃないはず。
松尾アナウンサーに対してポジティブな意見が飛び交ったり、ニュースなどで取り上げられるところを見ていると「アナウンサーは感情を出さずに淡々と情報を伝えるものだ」という謎のルールがまだどこかに残っていると逆説的に言えるのかなとも思う。
日本には誰が決めたか分からない謎のルールが多すぎる。
「それは一般常識だよ」とかって言われるけど誰が決めたかわからない謎ルールを一般常識という言葉に置き換えているだけなんじゃないか?
・子育ては女性がするもの(男性は「子育てを手伝う」と言う人が一定数いる)
・上司が帰るまではなんとなく会社にいないといけない(大抵はそのまま強制的に飲みに連れていかれるまでがセット)
・最低でもアポイント10分前には到着しておかなければならない(いやむしろ10分前からスタートがデフォルト)
なんとなく思い出してみても謎ルールが沢山ある気がする。
誰が決めたのか…
謎ルールを破ろうものならあちこちから批判の矢がビュンビュン飛んでくる。
だから誰が決めたんだよ…
何に怯えているんだよ…
私が感じる日本の息苦しさはこの謎ルールも理由の一つだと思っている。
生きづらい。
なんでも海外と比較するのは良くないけれど、以前バイトしていた「日本の中のアメリカ」では日本人従業員が10分前に来て準備してタイムカードを切っている横で、1分前もしくはスタートちょうどの時間に来てタイムカードを切ってからのんびり着替えて仕事をスタートするアメリカ人従業員。
帰りも時間ギリギリまで働いて、タイムカードを切ってから着替え始める日本人従業員といそいそと終業5分前くらいから着替え始めて時間になったらタイムカードを切るアメリカ人従業員の対比がすごく興味深かった。
もっとお互いゆるく生きてもいいんじゃないか?日本人。
アナウンサーだって泣きながらニュース読んだっていいと思う。怒ってもいいと思う。
視聴者の感情をコントロールする意図があるなら問題はあるけれど。
でも視聴者の中には悲しいニュースを見て涙を流しながら見ている人だっているはずなのだ。
怒っている時だってある。
(もし私が悲しいニュースをみても感情がこれっぽっちも動かなかったら、ちょっと自分の精神状態を疑ってしまう)
私も泣きながらニュース見ていて、淡々と伝えるアナウンサーさんを見て「すごいなぁ。プロだなぁ。」って思っていた。
それはそれですごい訓練をされているんだろうしすごいことだと思う。
だけど思わず感情を出してしまうアナウンサーさんを見て「ああ。ニュース見て泣いてもいいんだ」って思える場面もあった。
ニュース見て泣くのはおかしいことじゃないんだって安心した。
また、記事内では松尾アナウンサーの謝罪は「聞き取りづらくなってしまったこと」に対しての謝罪だったと伝えている。
たしかにそうなのかもしれない。
伝えるプロとしては声が聞き取りづらくなってしまうことは避けたいだろうから。
うん。感情的になってしまったことに対しては謝罪しないで欲しい。する必要はない。
みんなの思いを肯定してくれたというか、代弁してくれたというか。
この場面を当事者の人たちが見てくれる確率は低いにしても、遠く離れた日本からも気にかけていることはきっと伝わると思う。
今日のニュースからの気づき
日本は謎ルールが多すぎる
アナウンサーだって感情を出していい(それが視聴者の共感を呼ぶ)
伝えるプロ・音のプロとしての意識
なんかうまくまとまらなかったけどたくさん考えることができたニュースだった。