おばあちゃん
「私には子や孫がようけぇおりますので、最後は家で世話になりたいと思います」
肝臓ガンで緊急搬送され少し落ち着いた時におばあちゃんが言ったドクターへの言葉です。
僕は小さい頃から、おばあちゃんっ子で
お兄ちゃん達から泣かされてはよく、おばあちゃんの部屋に逃げては慰めてもらってました!
ある日、おばあちゃんに胃癌が見つかりました。しかも末期の癌です。
数日後、自宅で大量の吐血。
おばあちゃんは総合病院へ緊急搬送されました。
状態を聞く僕たち家族に、ドクターは
「状態はかなり悪いです」
と教えてくれました。
だんだんと話しもしはらへんようになって、意識もなくなっていくおばあちゃん。
ベットの頭には「絶飲食」と貼られ、点滴と、輸血、それに痛みをとるモルヒネが投与され、
ベッド脇には「ピッピッピッ」とモニター。
おばあちゃんが望んだ最後からドンドン離れていく気がする…
そんな時に3女の叔母さんが
「もう、こんなお母さんみたくない。コウタ、家に連れてかえれるか?」
ドクターは
「車の中でということも考えらるので、くれぐれも気をつけて」
と言われ、みんなで覚悟をきめて病院を後にしました。
病院から家までの15分がめっちゃ長く感じてやっと家に到着!
「おばあちゃん。神殿やで!
おばあちゃんが建てた神殿に帰ってきたで」 (カヨコおばさん)
家に帰ってきた日↓
自分の部屋でヤレヤレって感じかな。
ちょっと疲れたなぁ。(一緒に写ってるの、ユウゾウおっちゃんです)
カヨコおばさんの
「帰って来れてよかったなぁ」の言葉に
「ほんまやなぁ、そら家ほど良いとこないわ」と笑顔で言ってくれました。
ほんで、ほんで、次の日の朝です!
おばあちゃんの部屋から、弟が僕を呼ぶ声がするんです。
急いで行ってみると
「おばあちゃん。トイレ行くんやって」
ってもう立ってるやん!
なんとおばあちゃん。昨日まであんなにグッタリしてたのに歩いてトイレしに行かはったんですよ!
「やっぱりトイレですると気持ちエエなぁ。私はオムツはカナン」
スゲェって感動しましたね。
それからというもの
(おばあちゃんとお母さん。仲の良い嫁姑です)
水から初まり、桃は食べるわ、ブドウ、トマト、お粥。
おばあちゃん 「おいしいわぁ。おい、コータ飲んでるの何や?」
僕 「えっ?ビールやで」
おばあちゃん 「ちょっとおくれ ゴクゴク!あぁ~うまい!!」
おいおい!めっちゃ元気やん。
病院にいる時は血圧も酸素濃度も低くて、鼻から管入れてたのに、
「こんなんもう取ってーな」
わぉ!
(ひ孫のトモカ。夏祭り前に)
(末っ子のヨリコおばさんと)
(孫サトル。おばあちゃんが食べたいって言うたモン。
ほとんど箱で届けてくれました。冷蔵庫いっぱいや!!)
一番右が長女のサトコおばちゃん。
ほとんど毎晩一緒に寝てくれていました。
(内ひ孫だけで7人!おばあちゃん孫おおい!)
おばあちゃん。生まれ故郷の山形の人に手紙書いてます!
ちょっと見えたんやけど達筆な字で
「私は幸せでした。さようなら」
って書いてあって、書き終えた途端
「あぁ~」って、力使い果たしたように、横になったはりました。
僕と、弟のナッチャンの手伝いで自宅のお風呂に何度も入れて
「お風呂はホンマに極楽や。私は幸せやなぁ」
って言ってくれはりました。
僕は、おばあちゃんが、「麦と兵隊」っていう歌が好きってことを耳にし、
何度か部屋まで歌いにいきました。
「この歌聞くと、亡くなったお爺ちゃんのことを思い出すんや」
ってベッド上で涙されてました。
こんなに調子良かったのに、
吐血も何度かあって、口から入る量も少なくなって
徐々に、しんどくなっていったんですよね。
それで吐血があってからちょうと1ヶ月後。
ひ孫たちに手を振ったかと思うと
枯れるように、眠るように、みんなが見守る中
退院してからずっと、おばあちゃんと寝てくれていた
長女のサトコおばちゃんが来るのを待っていたかのように
静かに息をひきとりました。
「おばあちゃん。ちょっとしんどくてお風呂入れてなかったなぁ。お風呂入ろう」
僕と、ナツキと、お母さんと、ヨウコおばさんで、お風呂入れさせてもらいました。
お湯の中に浸かったはる時に、
僕がおばあちゃんの好きやった「麦と兵隊」を歌うと
外にいた子どもや孫、ひ孫が、一緒に口ずさんだり、手拍子をしてくれました。
おばあちゃん。ありがとう。おばあちゃんのお陰で何か確信が持てたわ。
これからは、自信持ってやっていくしな!
見ててな!!
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