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bpmとか目に見えないものの価値は安さの向こう側にある
自分のペースというものがある。
わたしたちはそれを無意識的に感じ取って、自分のキャパシティー内に収めようとしている。
例えば、子供と大人の脈拍ではペースが違うし、ハードワーカーのペースをスローにはできないし、largoをallegroにしたら落ち着かない。
わたしの場合で言えば、運転時の無意識の速度は時速60kmになる。
文章量は1記事2000文字で400字詰め原稿用紙で5枚分ならすいすい書ける。長編ならいつもの2000文字×あと何セットという計算をして日数を割り出すことができる。これは職業病だね。
みんなそれぞれ居心地のいいペースがあって、無意識的に身体は覚えている。この自分にとってのちょうど良さは、おそらく死ぬまで同じbpmを刻むのではないか。
よくわたしは「生き急いでいるね」と言われることがある。自分ではまったくそうは思わないし、ストイックに仕事しているどころかゲームして遊んでいる日もある。
わたしがイメージする「生き急ぐ人」は集中力があって、同時に幾つものタスクをこなせて、睡眠時間が僅かでもきちんと起きれて、自分の仕事以外のやらなければいけないこと…例えば社交とかの時間もとれる。そんな人なのだが、わたしはそのイメージからは遠く及ばない。
しかしたしかに。
先日のnoteにプロフィール記事を書いた際、「あー、わたしって結構色々やってるなあ」と思った。色々やっている人は頑張っているとか、応援したくなるとか、時間足りるの? と思うことがある。
わたしの周囲にもそんな人がいるが、キラキラして見えるものである。
しかしわたしの場合は、色々やってはいるが、やりたいという目標を定めてクリアして、また目標を定めてクリアして、を繰り返しているだけである。
原動力はただ単純に、やりたいから。それだけだ。
わたしだって原っぱに寝っ転がって雲を数えて過ごしたり、野山を駆け巡ってキャンプして、正反対だけど毎日ゲームして過ごせたら素敵だと思う。
しかしわたしはきっと飽きる。
例えばテレビの前でじっとアニメを見たり、映画館で集中して映画を見たり、授業中に先生の話を黙って聞くことができない。手も足もつい動かしてしまう。
思考のスイッチが入れば無限にどこまでも集中できる。ピアノの練習も、編み物をひたすら編むも、40000文字を書き上げるも一日中できてしまう。食事も睡眠も忘れてしまう。
生き急ぐという言葉よりも、「極端」という言葉の方がわたしには近いのかもしれない。
考えがまとまっているわけではないが、この文章だってすいすい書けてしまう。
しかしbpmが合わない人同士はどうだろうか。一緒にいると苦痛に思うことがわたしはある。
例えばわたしの主人は会社員で朝から夜まで働いている。生活スタイルをきっちりと管理することが重要だ。
しかしわたしは、朝でも昼でも夜でもお構いなしだ。やりたい、だから今やる。
どちらが良いかということではない。スタイルの違いからやりづらさを感じることがあるということだ。
これは何も主人に限ったことではない。友人もやはりスタイルが違えば、やりづらさを感じる。
もちろん、他人のせいではない。お互いスタイルが違うのだから妥協したり尊重したりしてうまくやっていけばいいだけだ。
スタイルならね。
でもbpmは違う。
わたしと主人はスタイルが違っても、bpmが近いのだ。
例えばここに行きたい、じゃあ行くか、となる。あれがほしい、じゃあ買うか、となる。この感覚はわたしに似ている。つまり、思考と行動にタイムラグがないのだ。そういった意味ではテンポが速い。
しかしそうではない人もいる。じっくり考えてから行動に移す人もいる。もちろんそれを否定するわけではない。ただ、わたしのbpmと合わなくて一緒にいてても話が合わないのだ。
例えば、こういうことで悩んでいて、と相談されて、じゃあこうしよう!と行動に移す案を言ってもいつまでも行動には至らない。
ずっと平行線なので疲れてしまう。たぶん相手もそう思うことだろう。
類は友を呼ぶというが、bpmで見てみると似たような人が集まるのではないか。レスポンスが速い人にはレスポンスが速い友人がいることが多い。
今まで価値を考える時に、物理的に目に見えやすい面が多くを占めていた。
価格の安い、高い。年齢の若い、中年。かわいい、クール。
たしかに物質的な価値で満足するならいいが、問題はもっと根底の目に見えない部分にあるのではないか。
わたしの場合、どんなに安くて良いものでも、自分のペースに合っていなければどこかで違和感を感じてストレスになる。
そのストレスは安さという価値で相殺されるだろうか。いや、そのストレスをまた癒したり発散するためにまた金を使うことになる。悪循環だ。
これからの時代、2020年からは確実に金融の価値、やり方が変わると書いた。
目に見えないbpmだけでなく、思考、深層心理、霊、オカルトなど…ストレスを満たすために金が動く。しかし人々も最初からストレスをなくすようなもの、根本原因を解決するものにフォーカスすべきで、おそらく時代の流れはそうさせる。
安さとか、便利さの向こう側にある、心地よさとか、ちょうど良さを見つめていきたい。
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