Guzzle Pittのこと、その四
Guzzle Pittのこと、その一 https://note.com/kurokuro0725/n/nc83666df28ce
Guzzle Pittのこと、その二 https://note.com/kurokuro0725/n/n3e221a6e757c
Guzzle Pittのこと、その三 https://note.com/kurokuro0725/n/n28642b8d14cf
永久電池
pyongchangがいなくなって「君は僕の友達」という曲が生まれたところまで前回書きました。
アップダウンの激しかった2005年が終わり(前回参照)年が明けて2006年に入ると「君は僕の友達」も収録した3曲入りミニアルバム「永久電池」の制作に取り掛かります。
この時は別件のレコーディング仕事で福岡に来ていたDr.HBのスケージュールの合間を縫って我々のレコーディングを強引にねじ込みました。(笑)
pyongchang不在なのでほぼKUROとREOとDr.HBの3人だけで作ったCD。ゲストプレイヤーも今回はこの頃よくライブサポートしてたベースの普工がちょっと入ってるくらい。
なので楽器の音は最小限の、より歌詞が伝わるシンプルなアレンジのCDになっています。
1曲目「君は僕の友達」は前回書いたような経緯でできた楽曲。2曲目「あさねぼう」は自分が20代の頃に作っていたオリジナル曲をレオが歌詞をリライトしてくれた、頑張らなくても良いんだよっていう応援歌。
最後の曲の「Standard」は以前MTRで宅録してた幻の1st.ミニアルバムのタイトル曲に新しい命を吹き込んで再録。
そうした楽曲の内容に加えて「永久電池」というアルバムタイトル、ジャケットに使われた画像も含め全てコンセプトが一貫してて、このCDが一番好きだと言ってくれる人も多いです。
後になってREOは「君は僕の友達」の歌詞について「なんかpyongchangの気持ちも考えずに勝手なこと書いちゃった」なんて言ってたんですが、pyongchangが復帰後初めてSound Summitのステージに立った2010年、ラストに全出演者でこの曲を歌った時、その冒頭の歌い出しはpyongchang。それは本人の申し出によるものでした。
ここまでの経緯をしってるお客さんたちにはグッときてたみたい。
ガズリズム
そんなわけでGuzzle Pittは当分の間KUROとREOの二人時代に突入。
せっかく前年にたくさんの仲間達の協力を得て2枚のCDを作ったのに、それを3人揃って披露する機会がありません。
そこで持ち上がった企画が「ガズリズム」、Guzzle Pittの楽曲達を音楽仲間達がそれぞれのアレンジで、それぞれのリズムで、それぞれのイズムでカバーするというトリビュートライブです。
先日改めてDVDをみたのだけど、役者やってる友人による冒頭の「願いプロローグ」の朗読から引き込まれるとても良いイベント。中でもとんちピクルスさんのステージが素晴らしく、このイベントのイズムや意味の着地点を見据えてのアレンジとパフォーマンスはさすが。感動しました。
動画のリンクを貼っておきます。
この時のライブに出演し、同時期リリースされたcaRchaによる「5時のサイレン(REGGAver.)」は既に廃盤になってるんだけど、このたび1年間限定で配信スタート。今のうちにダウンロードしといてね。(↓)
2人だけのGuzzle Pitt
今回のサムネ画像はプロカメラマンのうどんさんに撮ってもらった画像。この時期うどんさんに素敵な写真をたくさん撮ってもらっていました。ただこの後pyongchangが復帰してからはこの2人ver.の画像って使うことがなくなったのでここで供養します。
当時何かに使えたらと思って作っていたポストカード的なものですが、お蔵入りしていたのを発見したので。
とはいえ、REOも当時は飲み屋に勤務していて週末はまずライブ無理なのと、元々ライブ自体があまり好きではないので(汗)2人でやったライブって数えるほどしかないんです。
ただこの時期にレオはベースからウクレレに興味が移り、後のガズルサウンドの基本ができるようになります。
日本全国キャラバン隊
そんなこんなでこの時期ほとんどライブをしてないのかというとむしろ逆で自分はめちゃくちゃライブしてました。基本弾き語りでも成立はするのですが、やはりバンドが好きなので誰かサポートメンバーを誘って演奏することが多かったですね。
しかもこの時期大阪に住んでいたパートナーと遠距離で付き合っていたり、Sound Summitの様なイベントを通じて全国に音楽仲間が増えていて、彼らが主催するライブに呼んでもらって札幌、東京、名古屋、大阪、そして地元福岡と全国のイベントに出演してました。
この時主に一緒に全国飛び回ってたいたのが普工(Bass)、ごーじゅ(Ds.)、金ちゃん(Key.)というサポートメンバー達。このメンバーは2006年のSound Summitで初めて組んでから、その後もスケジュールの合うメンバーとあちこちでライブしました。遠征先ではそこで仲良くなったミュージシャンとセッションしたり、いろんな人たちとGuzzle Pittの曲を演奏して、面白いコラボが多かった時期です。
遠征では大阪のふぐり(後のOtussy)、東京の頭六九などしょっちゅう一緒になるバンドもいて、そんなイベントを追っかけてるフットワークの軽いオーディエンスもいて「じゃあまた日本のどこかで〜」みたいな感じで別れて翌月また別の土地でライブして酒飲んでっていうキャラバン隊というか一座みたいになっちゃって、遅れてきた青春というか楽しかったです。
たくさんの旅の思い出があると同時に、あれ?そういえばあんな人いたな〜、今どこで何してるんだろうって人もたくさんいます。
なので今でもずっと音楽を続けていて繋がってる仲間は貴重ですね。
下の動画は上に書いたKURO(Vo./AG)、普工(Bass)、ごーじゅ(Ds.)、金ちゃん(Key.)というメンバーでの東京ライブ、荒削りですがやはりバンドは楽しいです。そして人生最大にデブな時期です。w
ボーダレスなライブの時代
2005年のRAINBOW MUSIC EXPOがそれまでのゲイ・インディーズの集大成的なライブだったと前回書きました。で、それ以降はそういったイベントが下火になったのかというと、自分的にはそれ以降の方がむしろ全国的な広がりをみせて盛り上がっていた肌感があります。
ただいわゆるセクシャルマイノリティのリブ活動的な側面でこの手のライブを捉えていた人たちからすると、2006年以降はセクシャリティに関してボーダレスなイベントが主流になってきていました。なのでそうした先鋭的な活動をしている方からするとムーブメントとして「後退」しているように見えたかもしれません。
それは考え方なので、リブ活動の一環で音楽やイベントをしている人も否定はしませんが、自分はこの2006年以降のファジーで自由な雰囲気が身の置き所として居心地よかったし、何より純粋に音楽が認められている実感がありました。
それはこの連載の初回にも書いていたポニカスキップやピーチパレード、ぼんやりまつり、そしてSound Summit等に一貫して流れる空気感で、今自分が営んでいるブギやイントロに引き継がれているのだと思います。
Guzzle Pitt再スタート
さて2008年くらいになるといよいよpyongchangも社会復帰してくる様になります。まだ本調子ではないとはいえ、ライブにお客として来てくれるようになりました。
本格的な再スタートは2009年の夏の「homeles」リリースからになりますが、次回はそんな2009年あたりからメンバー3人で一番ライブをしていた時期の思い出を語ってみようと思います。
つづく