【COLUMN】2005-2020 by peko
こんにちわ。
pekoです。めっちゃ久々にこういうの書きます。
先日リリースした黒衣"RISE OF"聞いてくれましたか?
今のHIPHOPの持つ派手さや煌びやかさはないと思うんすけど、俺らにしか出せない渋みが出た自信作 a.k.a スルメアルバムなので末長く聞いてもらえると嬉しいです。みんなのお気に入りの曲とか知りたいっすね。リリックの仕掛けとか細かいところに気づいてくれたらより嬉しい。
リリック掲載のためにこのnoteを作ったんすけど、多分みんな、最近の2MCの黒衣しか知らないじゃないですか。(当時から見てくれてる人がいたらそれはすっげー嬉しいっす、ありがとう)
けっこう歴史あるグループなので、黒衣について自分からの目線で色々語ってみたいと思います。長いんで暇なときにどうぞ。
グループの起源は2005年にまで遡ります。
ここの話するとめっちゃ長くなるのでざっくりと話すと、
俺の地元の駅、川西能勢口駅で路上ライブしてたラップグループがいるんすけど、それが"KRC(神田ライマーズクラブ)"ってグループで。そのメンバーがKENT、覇世、K.Iの3人。
たまたま歩いてたらライブしてる彼らに遭遇して、ひょんなことで意気投合して俺もKRCに加わることになったのが始まりです。17歳の時のできごとですが、自分の人生の中でもすごく濃くはっきり残ってる瞬間の一つです。
(KRC:左から覇世、KENT、K.I、俺)
KRCは2005年から数回クラブでライブしたんですが、KENT以外の2人はホンマに全然ちゃんとライブできなくて。笑
ライブが終わるたびにKENTと俺で二人に説教してしょぼーんってするのが毎回あって昨日のように覚えてます。そう考えるとweekdudusとか空音とか見てて、今の若い子たちは本当しっかりしてるなと感心します。
適当な2人にいい加減痺れを切らしたKENTが1曲のトラックをCD-Rに焼いて原チャで俺の実家に来て「2人でグループやろうや」って言ってきたのが2006年。
その1曲をきっかけに2人のグループ名を"黒衣"として1MC1DJで始動しました。
(黒衣初ライブ at.成蹊大学学園祭)
黒衣の名前の由来は「本来ステージで見えないはずのやつらがステージの前に出てくるのおもろくない?」っていうKENTのアイデアだったと思います、確か。始動後すぐはとにかくKENTのアイデアが爆発していた時期で、作るもの皆強烈でした。俺はトラックメイクしてなんとかついていくのに必死て感じでしたね。そうやってできた楽曲をまとめたデモCD(合計3枚作ったね)を手当たり次第配ってライブする機会をもらってました。
毎週のようにライブして、繋がった人や場所の中には現在に至るまで深く関わっていくものがたくさんあるわけですが、ここら辺も話すと長いんで追い追い。
(左から:梅田サイファーの初主催イベント"CYPHER" → NOONで開催されていたイベント"アマチュアナイト" → ROMANCREWが中心となったイベント"スーパークロイ" → 現在も続く"華金" → 黒衣 1st album"TIME IS COLOR"フライヤー → 高槻POSSE主催イベント"TSUKI")
フライヤ
活動を続けていく中、2009年に高槻POSSEのJABとatiusの後押しがあって、俺らはレーベルからアルバムをリリースできることになったんです。その当時、CDを全国リリースするってけっこう大ごとだったんですよね。iTunesStoreがようやく日本でもちょっと使われ始めたぐらいの時期で。同世代で全国流通できてるラッパーも極僅かやったから、これはすごいことになってきたぞ、と。KENTにとっても俺にとっても願っても無いチャンスだったわけです。
しかしアルバム製作は難航だった苦い思い出があります。しっかりしたスタジオでの製作自体が初めてだった俺らは、思ってるよりも実力が出せないことに苛立っていました。エンジニアのNOAHくんのアドバイスもすんなり受け入れられるほど大人でもなかったので、KENTとは言い合いになることが多くて、険悪なムードは何回もありました。ここら辺からちょっとずつ俺らの関係も悪くなってった気はします。
そんな末にできた1st album "TIME IS COLOR"は良くも悪くも、当時の黒衣の2人な歪な状態を収録してると思います。
このアルバムは俺らの期待と反して、全く話題になりませんでした。
もう少しは話題になると思ったけど、甘かったっすね。全然売れなかった。
"売れない" "シーンから相手にされない"っていう現実はけっこう残酷で、夢見る若者の自信やプライドをバキバキにぶっ壊してくれましたね。
それでも俺らを応援してくれる人は少なからず居ました。関西のつながりがある先輩や仲間はたくさんリリースライブさせてくれて、中には少ないパーティーの利益からギャラをくれる人も居ました。本当に感謝してます。
それでもやっぱ、チャンスをものにできなかったショックはデカかった。俺らも若かったから受け入れるのに時間がかかった。
このアルバム以降KENTとは曲を作ったり会話したりするよりも無言で過ごす時間が増えた気がします。
ライブでもお互いに失敗が増えて、それまでの阿吽の呼吸は失われて、ライブの自信もどんどんなくなっていった。そういう期間がダラダラ2年ぐらいあったのかな。
俺は悔しさとか苛立ちを他にぶつけるように、バトルに出るようになった。
目の前の相手を倒すことで自分を肯定できるバトルは、自分のメンタルにもしっくりきたんすけど、そのバトルも、俺は向いてないって出始めて早々に気づいてたんすよ。相手を蹴落として這い上がるみたいなマインドや才能、ちっさい頃から持ってないんすよね。それでも一つの目標として「デカいタイトルとるまでやってみよう」って思って続けてたんすけど、出れば出るほど"バトルMC"とかレッテル貼られて。そう言われるの悔しいから曲作ってみるんやけど、そういうメンタルで作るとかっこいい曲って全然作れなくて。悩んでるうちにどんどんかっこいいラッパーが出てきて。それが同世代とかやと焦るじゃないですか。私生活も私情で荒れに荒れて。どんどん荒んでいった時期でしたね。そういう風にしてるとね、怖いよね。仲間にも嫉妬したりしちゃうわけですよ。味方なんていねえ!みたいなクソなメンタルになってきて。
そして2011年かな?黒衣の活動を完全に止めるってことをKENTと飯くいながら話したんすよ、確か王将やったと思う。
その夜のこともなんとなく覚えてるんやけど、話終わった後に、なんか取り返しつかないことしちゃったんじゃないか?ってソワソワして。長年付き合ったカップルが別れる時の雰囲気っつーのかな?多分そういう変な感じで。
「あ〜俺何やってんやろ?」って思ったんすよね。一緒に夢見た仲間を切って、バトルでは負け続けて、ソロで曲作ってもダッサイのしかできなくて。ろくに良いもの作れないのに売れたいって欲求だけ人一倍強くて。一回失敗してるから、自分の中の優先順位がコントロールできてなくておかしくなってたんすよね。
もうこの時期は何回死んでしまいたいって思ったかわかんないですね。笑
とまあ俺個人はその時そんな感じやったんすけど、かくして黒衣は活動を一旦止めてお互いのことをやり出したわけです。
KENTは俺らのイベントにもソロでライブしたりしつつ、自分のルートでまた違うイベントに出たり、"IKIFUN"と色々やったりしてて、2013年に"DEAD STOCK L.P"と2015年に"SUMMER BREEZE E.P"って作品をソロ名義で出したり地道に活動を続けてったっすね。
この2作はKENTが大部分のトラック作ってるのもあって彼の個性がすごく感じれる良い作品ので、なんかのチャンスで聞いてもらいたいとこです。
俺は病みを引きずりつつもバトルに出たり、DJしたり、高槻POSSEとして活動したり、ビート提供したり、イベント主催したり、2014年頃までかなりフラフラと色んなことしてましたね。高槻POSSEでは"ヨセアツメ"と"P.O.P"の2枚のアルバムを出してます。どっちも名作なので聞いてない人はチェックよろしくっす!
お互いが今日に至るまでに感じてたことは今回のアルバムの"TIMELESS"って曲に詳しいんで読んだ後もう一回聞いてもらいたいっす。押忍。
黒衣の復活のきっかけはKOPERUでしたね。
KOPERUが2014年に"アマチュアボックス"ってパーティーを始めたんです。
(ちなみにこのフライヤーデザインはテークエム)
そのパーティーの2016年12月31日の回ですね。KOPERUが「黒衣でライブして欲しい」って言うんすよ。
ちょっと時期が違ったら断ってたかも知れないんすけど、何でか分かんないんすけど、「やれそう」って思ったんすよね。
それでKENTに電話したら「やろうや」って二つ返事且つ新曲も作ろうと意気投合して黒衣として動き始めたという感じです。以前の1MC1DJの体制から2MCに変わって、どういう曲を作るかみたいなディスカッションはけっこうした気がします。
ちなみにその回のフライヤーがこれなんすけど、
見ての通り、俺はこの時点ではまだ梅田サイファーとしてライブするメンバーではなかったんすよね。彼らとはずっと一緒におるけど、梅田サイファーって名義で一緒に曲作ったのって"マジでハイ"と"ゼンボーレノン"が初めてちゃうかな?ワンピースで言うとジンベエみたいな後期メンバーです。
この日はなんか色々凄かったな。全然客いなかったけど。コロナが死滅したらまたこういうのやりたいな。
ここまで読んでくれた人に秘蔵動画プレゼント
話を黒衣に戻すと、このアマチュアボックス後は定期的にKENTとミーティングして、楽曲を少しずつ作って、2018年のmini album "OVER NIGHT"に繋がっていくと。
この作品発表してからは活動開始ほどではないけど、ISSEIのやってる"口"とKZの誘いで"華金"にレギュラーで呼んでもらってライブも精力的に行って、回数重ねるごとにKENTとの呼吸も戻ってきて、それは今のパフォーマンスを見てもらったらわかると思うっす。
同時にこの時期から梅田サイファーもガーッと勢いに乗って来て。こうやって書きながら思ったすけど、2016年ぐらいからちょっとずつ良い風は吹き始めてたなって感じます。
黒衣で一番最初に作った曲は"風向き"というタイトルなんですが、この曲のKENTの好きな一節があって。
"濡れた指先を空に掲げては流れを読み
その根源は自分自身と言う自信を胸に掲げ
確率だけで賭けをする等バカげた
真似はせずに見出すべき 勝ちと敗けの真の価値"
これを18歳とかで書いてるから本当、KENTは恐ろしいなと思うんすけど。
けっこうここに俺らが悩んでる時期に出したかった答えがあったんだなって思うんすよね。
"RISE OF"までめっちゃくちゃ遠回りしちゃったっすけど、俺もKENTも今、黒衣で出せる最高打点をいつも考えて曲が作れてるし、それを楽しめてるんですごく良い状態です。まあ本音を言えばこれだけで生活できるのが一番理想なんすけど、楽しめなくなったらまた心が死んじゃうの知ってるんで。売れたらラッキーぐらいに思いながら、とにかくかっこいい曲を作り続けたいなと今は思ってます。
またこうやってKENTと切れた再スタート、次は終わらせへんように気持ちを鼓舞しつつ、新しい作品に取り掛かっていきたいと思います。
それまでは新作"RISE OF"楽しんで聞いていただければと思います。
応援してくれるみなさん、本当にありがとうございます。
引き続き、どうぞご贔屓に。
Photo by Hoshina
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