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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)69
第5章 運命の夏(6)
2(承前)
「無理だよ」
亮太は立ち上がると、肩を小さく上下に動かした。
「おまえには勝てないって」
見ていて歯がゆくなるような、情けない笑みを浮かべる。
「そんなの、やってみなくちゃわからないだろう?」
「やらなくたってわかるさ。五十メートルも泳がないうちに、俺はこむらがえりを起こしてリタイア。たぶん、そんなところだろうな」
「俺と勝負する気はないのか?」
「悪いけど、みんなの前で恥はかきたくないからさ」
「もしおまえが勝負を受けないというのなら、俺は水泳部をやめる──そういっても?」
亮太は唖然とした表情で、幹成を見上げた。たぶん、私も同じ顔をしていたに違いない。
「おまえ、なにいってるんだ?」
「亮太というライバルがいたから、俺はここまで頑張ってこれたんだ。おまえがこれっきり消えちまうっていうんなら、俺もこれ以上水泳をやってる意味がない。おまえとは、おたがいにベストの状態で戦い合いたいんだよ。だから、まずはこの前哨戦を受けてくれ」
亮太はしばらく考える素振りを見せたあと、
「……わかったよ」
あきらめたような口調で答えた。
「そうやって、俺を奮い立たせようとしてくれてるんだろ? ありがとう。嬉しいよ。おまえがそこまでしてくれるなら、俺も頑張らなくっちゃな。だけどたぶん、スポ根ドラマみたいにはうまくいかないと思うぜ」
肩を回しながら、スタート台に登る。幹成も、その隣に並んだ。
「じゃあ、椎名先輩。スタートの号令をかけてもらえますか?」
ゴーグルをセットしながら、亮太はいった。淡々とした口調に、私のほうが戸惑ってしまう。
「本当に大丈夫? 無理しなくたっていいんだよ」
「そんなわけにはいきませんよ。幹成はK高水泳部のエースなんです。俺のせいでやめられたら、あとでみんなに恨まれます」
二人はそれぞれのスタイルで、スタート台にかまえた。幹成が小声でなにかしゃべったが、私のところまでは届かない。
一体なにごとかと、部員たちがプールサイドに集まってくる。
「じゃあ、行くよ」
私のスタートの合図を聞いて、亮太と幹成はほぼ同時に飛び出した。
先に水面に上がってきたのは幹成だった。亮太はまだ、水中を移動している。手の先から足の先までをピンと伸ばした美しいフォームだ。水の抵抗をまるで感じさせない。
十メートルラインを越えて、亮太はようやく水面に浮上した。頭ひとつ分、彼のほうがリードしている。ストロークにも無駄がない。私は、彼の姿に釘づけとなった。技術的にも体力的にも、一昨年の比ではなさそうだ。亮太は確実に成長している。
もしかしたら、勝てるのではないか。そんな期待も抱いたのたが、二百メートルのターンを終えたところで、突然彼の身体に変化が生じた。
右脚の動きが止まり、全身が奇妙な形にねじ曲がる。クランプを引き起こしたことは、誰の目にも明らかだった。あっという間に幹成に追い抜かれたが、それでも亮太は泳ぐことをやめようとしない。
「ちょっと……なにやってんの?」
息継ぎの瞬間に見えた彼の顔は、苦痛で醜く歪んでいた。フォームもメチャクチャだ。水しぶきが上がる。泳いでいるというよりは、溺れているといったほうがいいだろう。しかし、亮太は立ち止まろうとしなかった。
「誰か、あいつを引き上げて!」
私の叫び声に反応して、後輩の一人がプールに飛び込んだ。無理矢理亮太の腕を引っ張るが、それでもまだ彼は泳ごうとする。後輩の手を乱暴に振り払い、さらに先へ進もうとした。
「亮太……」
全身に鳥肌が立つ。あまりの恐怖に、私はその場を動くことができない。
「……どうして?」
唇が震える。
それくらい、亮太の表情には鬼気迫るものがあったのだ――。
つづく