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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)76

第5章 運命の夏(13)

 翌朝の私の目覚めは、あまりいいものではなかった。
 ひどく恐ろしい夢を見たような気がする。しかしその内容は、いくら考えても思い出すことができなかった。
 顔を洗って気分をすっきりさせようとしたが、心を覆う混沌とした霧はなかなか晴れてくれそうにない。
 どこか遠くへ行こう。
 私はそう考えた。外出すれば、少しは気が紛れるかもしれない。
 はっきりとした目的地は決めずに、アパートを出発する。意識したわけではないのだが、気がつくと美神湖方面へバイクを走らせていた。
 櫻澤に会ってみよう。
 風を浴びながら、決意を固める。
 昨日、美神駅で目撃した一件も含めて、櫻澤には尋ねたいことが山ほどあった。それに亮太を立ち直らせるためには、彼に対する悪質な嫌がらせを、ただちにやめてもらわなければならない。私は、真正面から櫻澤と闘うつもりだった。
 だが、そう簡単に櫻澤が会ってくれるとも思えない。日向が櫻澤邸に電話をかけたときなど、留守番電話でしか応答してくれなかったそうではないか。正攻法ではとても無理だろう。
 あれこれ思案を巡らせるうちに、美神駅へとたどり着いた。昨日と同じようにバイクを駅の駐車場へ停めると、昼食を買うために荒瀬の働くスーパーへ立ち寄る。
 パック入りのサンドイッチふたつと烏龍茶を買うと荒瀬の姿を捜したが、どこにも見当たらない。今日は休暇をとっているのだろうか。
 私は落胆しながら、店を出た。荒瀬の仲立ちがあれば、櫻澤に会うことができるかもしれないと考えていたのだが。
「……どうしよう?」
 駐車したバイクの横にあぐらをかいて座り込み、サンドイッチにかぶりつきながら今後の計画を錬っていると、
「椎名先輩」
 聞き覚えのある声が背後で響いた。突然のことに、咽せ返りそうになる。
「こんなところでなにやってるんですかあ?」
 その鼻にかかった甘ったるいしゃべり方は、亜弥に間違いない。私は声のしたほうを振り向き、今度こそ本当にパンで喉を詰まらせてしまった。
 亜弥は男を連れていた。右腕に小さなテディベアのぬいぐるみを抱え、もう一方の腕は隣に立つ男の腰に回されている。幸せそうな笑顔を私に向ける亜弥。そして、彼女の隣で照れくさそうに鼻の頭を掻いている男は荒瀬駿一だった。
 亜弥に背中を叩いてもらいながら、烏龍茶を一気に喉の奥まで流し込み、ようやく楽になる。人心地ついたところで、あらためて二人の顔を見た。
「こんなところで会うなんてびっくり」
 亜弥は荒瀬の腕に自分の腕を絡ませながら、相変わらずの口調でいった。
「あなたの彼女って、亜弥ちゃんだったんですか?」
 信じられない思いで、荒瀬に詰め寄る。
「まさか、あんたと亜弥が知り合いだったとはな」
 ばつの悪そうな表情を浮かべながら、彼は呟いた。
「え? え? 先輩と荒瀬さんって顔見知りなんですか?」
 亜弥はきょとんとした表情で、私と荒瀬を交互に見る。
「べつに、顔見知りってほどの間柄じゃないけど……。亜弥ちゃんはどこで知り合ったの?」
「ライヴハウスで。この人、《ユーラシアン》ってバンドでギターをやってて、ものすごくカッコイイんですよお。あたし、いっぺんでファンになっちゃって、しばらく追っかけみたいなことをやってたんですけど、このたび晴れて、彼女の一人にさせてもらいました」
 テディベアの頭を撫でながら、亜弥は無邪気に答える。
「彼女の一人って、それ、ほかに何人も彼女がいるってこと?」
「荒瀬さん、人気者だから」
 ──お姉ちゃん、悪いことはいわない。あいつだけはやめといたほうがいいよ。
 スーパーの先輩従業員の忠告を思い出す。
「あんた、それでいいの?」
 荒瀬から彼女を引き離し、私は小声で囁いた。

つづく

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